敬老の日の振り替え休日の今日、誕生日を迎えた。
45回目の誕生日ということでこれまでの人生を振り返っている。子供の世話にも手を取られ、写真撮影に加えビデオ撮影・編集にも時間を割かれていて忙しい。四捨五入すると50歳となる節目でいろいろと考えることも多い。
10年前(1997年)は、ちょうと結婚したばかりでアパート暮らしが始まった頃だ。二人で東京に1泊2日で旅行に行ったのが9月12,13日。当時は、婚礼ドキュメントアルバムの撮影で週末が埋まり、平日は広告関係の写真撮影でもの凄く忙しく、黄色い4WDで走り回っていた。(横濱たより 54号 マービー20km達成)
写真は、FMラジオの公開番組が越前町のオタイコヒルズで行われ、パーソナリティーの小川もこさんと一緒に写真を撮って貰ったものだ。手にしているデジカメは、富士フイルム製のDS-7で当時7万円ほどしたが、ストロボもなく、画素数はなんと35万画素。この頃も分煙活動に熱心だった。
20年前(1987年)は、会社勤めを辞めて、全米モーターサイクル一人旅の真っ最中。ロッキー山脈の中で一人寂しく誕生日を迎えた。
仕事もお金も無かったが、時間の貴族だった。ニコンの一眼レフカメラを持って、なんのあてもなく、アメリカ50州全部と、カナダ、メキシコを走り、帰りに韓国に立ち寄って帰ってきた頃だ。
マイク・ヨコハマがはじめて活字になったのもこの頃でロサンゼルスの羅府新報という日刊新聞だった。「ラストフロンティア アラスカ・ツアー」という10回連載のものだったが、これが、250回の連載となる「EZア・メ・カ」のベースとなった。
30年前(1977年)は、中学生で陸上部で汗を流す毎日。ちょうど、アマチュア無線の免許も取ったのでそのときの証明写真が手元に残っている。まったくおぼこい田舎の中学生という感じだ。この頃は高校を出たら東京の大学に行くと漠然と考えていたような気がする。当時のあこがれの職業は弁護士。
逆に10年後(2017年)を想像してみると具体的なイメージは浮かばない。
テレビ放送が従来のアナログ放送が終了してハイビジョンに移行していて、インターネットがどのように人々の生活に役に立っているか、分煙社会がどこまで進んでいるかに興味がある。
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