950519 2015
左から、
南 真琴 妙寿寺
瞿曇英哉 淨泉寺
磯山秀霊 法専寺
磯山:結婚した時、お寺さんになろうと思った。
瞿曇:神と仏を一緒にして欲しくない。2足の草鞋は履きたくなかった。
南:出家は2度ある。僧侶の資格を取った高校生の時、勤めを辞めて専業になったとき。
洗礼名として、戸籍を届け出ると認めてもらいやすい。
長谷川:信仰心はないが、墓の掃除はする。
木村:お寺は不可侵的存在
瀬出井:母の三回忌でいろいろ考えることがある。
きこりん:無宗教
西野:お寺の役割として残して欲しい物は何か知りたい。
野本:勤めが仁愛、生まれは永平寺の門前。自分は、中沢新一を読んで関心がある。
JET:高校時代の調査票に曹洞宗と書き込んで初めて認識した。2年前に結婚したが、相手方の宗派について社会の現状を認識した。
三田村:友人知人にお坊さんが多い。大抵の坊主には驚かない。
瞿曇:無宗教はインチキ。実際は氏子。
50年前は、明治以来の国家側の力で総カルト状態にしていた。
瀬:無宗教ではなく、無関心。
J:生まれた家の宗派が付いて回っている。オウム達は、信仰の自由を叫ぶが、信仰の強制の方が問題。
瞿曇:檀家制は徳川時代の末端支配の道具として機能。明治以来は、国家神道の氏子制度に変化。まわりがそうだからしょうがない。というのならその人の自覚の問題になる。
磯:街の真ん中のお寺に来るのはお年寄りが多い。今までの習慣で来ている人が多い。婦人会は30代から70代の人に来てもらっている。宗教や浄土真宗への誤解が多い。肩書きはお寺さんでも実際の行動が伴っていない人が多い。
瞿曇:戦争中は一人でも多くの敵を殺すのが浄土への近道と言っていたのに、戦後手のひらを返した連中の話は聞いて欲しくない。
磯:信仰に寛容というより、日本人は、不真面目。
西:どう生きるかどう死ぬかに関心がある。どう生きるかは、科学に学び、どう死ぬかを学ぶ場所としてお寺が存在して欲しい。
木村:霊魂を否定している根拠は?南:教義的に説明が出来るが、難しい問題。
瀬出井:本山への納骨の意味は?三田村:本来のお坊さんの持つ資質は?
JET:修行の実体?
瞿曇:煩悩は越えることは出来ないと説いて、さらに救われると説く。
磯山:修行だけするのは間違いだと釈迦は説いた。釈迦の以降、弟子が集まって教義をまとめた時、出家僧だけが違ったイメージをつくってしまった。本来は、在家信者のため。
西:具体的な質素な葬式のマニュアルが欲しい。
瞿曇:坊主がぞろぞろ来るのは、金持ちは罪深いから多くの坊主は必要。という裏話がある。
6月23日14時西別院にて、小森龍邦の話がある。
高原:無神論者は良いが、無関心派は、国家神道に利用される。