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岸和田競輪場
取材:2000年7月
岸和田といえば真っ先に思い浮かぶのが「だんじり祭り」である。特に岸和田地区の「だんじり祭り」は、テレビでも放映され毎年大勢の観光客で賑わいをみせる。
毎年9月14・15の両日催されるが、約300年の伝統と歴史を誇るこの祭りのハイライトは、何といても各町自慢の地車(だんじり)を曳き出し、2本の綱(長さ100〜200E)を引き手(500〜1000人)が勇壮、豪快に町中を駆け回るシーンであろう。
だんじり祭りが約300年の歴史を持つなら、岸和田競輪場の歴史はまだ約50年である。これから100年大計に向かって是非とも頑張って欲しい競輪場の一つである。
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岸和田競輪場は第50回日本選手権競輪を開催するなど特別競輪招致にも積極的だが平成14
年(2002年)11月には「第18回全日本選抜競輪」の開催も決定した。
私は知らないが、その昔、大阪には3ヶ所(住之江、中央、岸和田)競輪場があったと聞く。唯一残ったのがここ岸和田だ。私が選手になった当時(昭和49年)場内超満員のファンの多さは、今でも鮮烈な記憶として残っている。
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威容を誇るメインスタンドを取り囲むように、2コーナー部分にはプレスルームと併用してレディースルームを備えた特別席がある。
ギャンブルは男だけのものではない。女性が気兼ねなく利用できる施設として、近年は女性専用席を設けた競輪場も増えているなかで、岸和田も各種ファンサービスにも積極的だ。
黙っていても競輪場に来てくれていた昔とは違い、こうした施設面での努力が競輪を更に面白く観戦できる要因となっている。
まさに世の変遷とともに、商売の在り方を考えていかなければ生き残れない時代となってきた。
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施設面での紹介ではないが、選手は発走直前に「清めの塩」を自分の身体とか愛車にふって気合いもろともスタート台に向かう。大相撲の仕切りのあの塩と一緒である。悪霊払いというか、無事故を願って塩をふる行為は日本古来の伝統文化だが、国際競輪で外人選手も塩をふっていたのには驚いた。
「郷に入っては郷に従え」(Do in Rome as Romans
do.)というか、事故なくレースを終えたいという心理は洋の東西を問わない。
ちなみに私も清めの塩を、頭、肩、胸、自転車にふる。ほとんどの選手がそれをするため、床には塩が散乱する。選手がスタート台に向かった後、それを係員が掃く。塩を蒔く近辺の鉄部は、長い間にサビてくる。
そのサビを見ると、私はいつも強者たちが残した痕跡だと実感するのだ。
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殺伐とした検車場からトンネルを抜けるとそこはT修羅場Uだった。
地下通路をくぐって入場する競輪場はいくつかあるが、近辺では西宮、甲子園、名古屋、一宮、奈良といったところで、岸和田もその一つである。
私はこの地下通路が好きではない。なぜなら歩く距離が長いからである。レーサーシューズが傷むからである。競輪で使用されるシューズは、ペダルを回すもので歩くものではないからである。
係員に率いられてバンクに向かう心境は、まさに決戦を前にリングに向かうボクサーのそれであろう。シューズを気にしながら自分にとっては長い長いトンネルを抜けると眼前にファンの熱気が伝わってくる。
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競輪場前の道路を挟んで、僅か200〜300E離れた所に選手宿舎がある。
私が選手になった当時(1974年)は、競輪場から約20
H離れた宿舎まで(堺市にあった)バス移動だった。
10レースが終わって約1時間バスに揺られて宿舎にたどり着くのは5時半近くだった。
競輪場を出発するときは、お腹が空くだろうとパンと牛乳が出たものだ。
昔はひどかったと今の選手に言ったところでどうしようもない。素晴らしい選手宿舎でレースの疲れを癒すことが出来る感謝を、古い選手だけが分かっている。
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昔の話ばかりで恐縮だが、各部屋で一番若い選手が先輩にお茶を入れることは常識だった。
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新人は選手宿舎でのお行儀作法を先輩から躾られ、お茶の入れ方も教わった。お陰でお茶の入れ方は女房よりうまい。食堂に行けば先輩より早く行って席の確保とビールの用意、お陰で接待は誰よりも気が利く。
朝刊は先輩が読み終えたあと一番最後に読む。お陰で人から生意気なヤツだと思われないですんだ。風呂に入れば先輩の背中を流した。お陰で人から感謝される喜びを知った。テレビは先輩の好きな時代劇(特に水戸黄門)ばかり見せられた。お陰で人に合わせる協調性が身に付いた。夕食では早くご飯を食べたいのに長い酒のつき合いをさせられた。お陰で…。もうよそう。キリがない。昔の選手は口うるさかったが、いま為になっている。
自分が躾てこられたことの100分の1を今の若い選手に要求したとしたら、たぶん訳の分からないオヤジだと相手にされないであろう。自分もやってきたのだからと、人にT強要する時代Uではないのである。ここは若い選手に嫌われないよう上手に付き合って、穏便に選手生活を続けようかと思っている。
姑にいびられ嫁にいぶかしまれ、私はなんて不憫(ふびん)な人生を送らなければならないのだろう、と悲観する必要など、どこにもない。人生、修行の毎日である。
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