施設紹介  トップページ

 
 「総合動植物公園」や「自然史博物館」、「嵩山(すせ)の蛇穴鍾乳洞」や日本最大級の「汐川干潟」、「石巻山」などの自然スポット、東海道五十三次の三十三番目の宿場二川宿と当時の交通の様子が分かる「二川本陣資料館」や「吉田城跡」、「瓜郷遺跡」などの歴史スポット、さらにそれらを展示している「美術博物館」などの文化スポットもあり、自然と歴史と近代化の三つの調和が保たれた素晴らしい街でもある。
 「ちくわ」や「ウナギ」「豊橋筆」など特産品も数多くあり、豊かな水と温暖な気候を活かした農業粗生産高は30年以上日本一を守っている。

豊橋競輪場

取材:2001年2月

 愛知県には名古屋競輪場と一宮競輪場、それと今回紹介する豊橋競輪場がある。
 豊橋競輪場のある豊橋市は人口約36万人で、市域面積は260.92キロ平方メートル、東は弓張山系を境に静岡県と接し、南は太平洋、西は三河湾に面しており、豊かな自然と温暖な気候に恵まれた街である。

豊橋市ホームページ
http://www.city.toyohashi.aichi.jp/hp_dir.html

 さて、豊橋競輪場は、1999年2月に第1回のふるさとダービーを開催し(優勝=稲積秀樹・富山)、昨年2000年2月24〜27日には第2回を開催(優勝=村上義弘・京都)した。
 このメインスタンドも同大会に合わせて建設され、施設面での拡充が行われてきた。
 豊橋競輪場は近隣に蒲郡競艇場と浜名湖競艇場があり、売上面では厳しい状況下にあるが、それでも根強い競輪ファンも数多く新規ファン獲得と合わせて頑張ってもらいたいものだ。

  豊橋競輪場は豊橋市の中心部から東に位置し、 三河湾から吹く「風の強い競輪場」として選手間では殊に有名である。特に冬場の風は選手達を悩まし、バックストレッチは強烈な向かい風となり先行選手は特に疲労度もきつい。
 
 私も通常なら52×14(ギア比3.71)を使うのだが、この強風には耐えられず51×14(ギア比3.64)に落としてレース(2001.2.16-18普通競輪)に望んだ。
 朝練習でこの風向きの状況を確認して、先行選手は仕掛け所を、マーク選手はイン競りかアウト競りかを考え、作戦を組み立てる。ドーム競輪場と違い、豊橋競輪場のもう一つの敵は、この強風である。

 ふるさとダービー開催に向けて、管理施設も充実したものができあがり、検車場やローラー場など整然とした施設は選手にとっては大変ありがたい。

 冬、風の強い豊橋競輪場では、朝練習をこのローラー練習だけで終了する選手もいるほどである。2レース分、18台のローラーが用意されている。このローラー台だが、アラゴ製が乗りやすく人気が高い。一台十一、二万円するから、18台あれば二百万円は超えてしまう。モーター付きのものは一台三十七、八万円もするが、これはもっぱらトレーニング用で、私も自宅に一台備え付けてある。
 選手の中にはウォークマンを聞きながらウォーミングアップをする者もいて、軽快にペダルを回している。

 1レース前から最終レース終了まで、このローラーの回転音が鳴り止むことはない。

 選手宿舎は、改装した旧宿舎と隣接して、ふるさとダービー前に完成した。
 その昔、豊橋の宿舎は8人部屋の二段ベッドだったが、現在はこうして立派な宿舎が完成し、古い私のような選手は、内心「ありがてぇ、ありがてぇ」と思っている。(ありがたい=有り難し=滅多にないこと)

 おそらく食堂の広さでいえば豊橋が日本一だろう。食事内容にしても味、量ともに及第点が付けられ、経営者の努力がうかがえる。

 全国どこの競輪場に行っても選手食堂の料金は決められているが、食事内容は様々で、苦言の多い食堂もあれば、企業努力で評判の良い食堂もある。

 ひと頃、高速道路のサービスエリアのレストランは「まずい」と言われたが、特定のお客が必ず入ってくる食堂にしてみれば、儲けを計算して自ずと差が生じてくる。

 儲け主義の食堂経営者になるのは簡単だが、全国から集まる選手に対して、その土地ならではの美味しい食材を提供し、レースで頑張ってもらおうとする姿勢が現れている経営者になるには、それ相当の企業努力と競輪に対する愛着が備わっていなければなれるものではないと思う。企業努力なくして選手も愛される訳がないのではないだろうか。

 食堂から出ると、喫茶コーナーがあり、選手はその日の全国のレース結果が出るチャンネルを観ながら談笑する。夕食後のひとときが唯一精神的にくつろげる時間帯である。

施設紹介の目次に戻る  

  電子メールは、zen1@yacht.ocn.ne.jpまで