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タカハシ ケンジ
「ケンちゃん」の愛称で親しまれている愛知の好漢、高橋選手は来月(1952年7月13日生)満48歳 を迎える。 言わずと知れたS級在籍最高年齢の「超ベテラン・超鉄人レーサー」である。 2000年3月をもって現役を引退された埼玉の小金井光良選手は選手生活50年という不滅の大記録を樹立したが、高橋健二選手にあっては競走激化の近代競輪にあって今なおS級を堅持し、その切れ味鋭い追い込 みはいまだ衰えをみせず、大記録に向かって「努力と節制の日々」を積み重ねている。 |
その高橋選手が世にその存在を知らしめたのは、昭和50年(1975年)の第28回日本選手権競輪(千葉ダービ
ー)での優勝戦ではなかっただろうか。私は25年前のそのレースの模様を、練習を終えた福井競輪場の控え室で仲間とテレビで観戦していたのだが、高橋選手が後方7番手から一気にカマし、そのまま後続を振り切って優勝したあのシーンは、今も鮮烈な記憶として
脳裏に留まっている。
近代競輪の幕開けは、恐らくあの高橋選手のカマしの優勝から始まったのではないだろうか。 |
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さて、私は久しぶりに名古屋開催でその高橋選手と会った。「さわやかケンちゃん」の名の通り、いつもにこやかな表情を崩さない高橋選手の周りには、愛知をはじめとする中部の若手選手が取り囲み、選手間からも慕われている高橋選手の人間性がここでも浮き彫りにされていた。 |
初日第8レースは、5着。 |
その夜、宿舎で夕食を終えたあと、高橋さんの部屋へ取材方々話を聞きに行った。
高橋選手は昨年後半落車により欠場していたが、それ以来、どうも調子が戻らないと語った。いろいろ治療も試み、取り分けこの開催に向けては練習も積んだし、韓国まで気功と漢方治療を施しに出かけるなどして体調快復に専念したが、自転車が思うように伸びがないことの疑問を吐露した。 |
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レース後は、爽やかな表情 |
ファンの心理も十二分に理解しているつもりではある。結果がすべてのプロの世界。努力が結果に結びつかないジレンマに思い悩まされながらも、結果の裏側を知らない金網の向こうからのヤジが、今の高橋選手には一番辛く気になるところだった…。 |
最終日、第6レース、6着。 高橋選手の名古屋開催は終わった。しかし、表情は決して暗くはない。終わったことをくよくよ考えてもどうなるものでもない。すでに気持ちの切り換えをしているのであろう。 「納得するまで、俺は走り続ける」高橋健二 2000年5月20~22日名古屋S級シリーズ5,8,6着 |
最終日第6レース 1番車、高橋選手 次回出走予定 2000年6月14〜16日久留米記念 |
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