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「古城グリーンロードレース」観戦記

 2000年8月6日(日)今年で12回目を迎える「古城グリーンロードレース」(福井県丸岡町主催)が今年も華々しく開催された。同大会は全国でも数少ない一般公道を走れるロードレースとあって、実業団のレースなど14のカテゴリーに分かれて健脚を競った。
 年々参加者も増え今年は参加選手1300人。前日のマウンテンバイクレースに引き続き、丸岡町の夏の一大ビッグイベントとなった。

 写真はチャンピオンレースのスタートで、ロード好きの私もこの大会には過去3回出場している。今年は何かと忙しくロード練習が出来なかったので、もっぱらサポート役に徹し声援を送った。

チャンピオンレースに出場の桑門瑛司

 私は、息子(長男佳史・よしふみ・高2)が通っている北陸高校で自転車部の指導(1999年4月発足・まだ同好会である)をしているが、その部員の一人、1年生の桑門瑛司がチャンピオンレースに出場(写真前列左)した。
 桑門は、己の力量を知らぬままに一番強いクラス(チャンピオン)にエントリーし、私は「お前ね、誰がチャンピオンなんかに出場しろと言った?」とあきれ顔で言ったが、エントリーしたからには仕方が無い。「ま、完走は無理だろうが落車しないように頑張れ!」とケツを叩いた。
 ところがまだ乗りはじめて3ヶ月だというのに、な、な、なーんと桑門は「完走」してしまったから驚いたのなんのって。本人の頑張りは勿論だが、やはりコーチの指導が良かったからだろう、というのは私の一人よがりであった。

シニアAクラス(40~49歳の部)のスタート前

 団塊の世代、いわゆる日本が高度成長期にある中で生まれた人口の割合は、今の少子化の時代と違ってその占める人口の割合も大きい。当然、カテゴリー別の選手数も一番多い訳で、シニアAの部(40〜49歳まで)は、250人と一番出場者が多かった。
 シニアB(50歳以上)も約100人で、シニアAとシニアBとを合わせると350人、これは参加者の実に27%を占め、更にこの傾向は年々増加の一途を辿るものと思われる。
 今の日本を支えているのは、こうした熟年層(私も含む)の世代の人たちである。仕事も自転車も共に頑張っているこの世代の一生懸命さに、喝采を贈らずにはいられない。

 全国の自転車好きのお父さん、これからも頑張って行きましょう!!


レディースのスタート

 女性の自転車競技愛好者も近年増加傾向にある。欧米に比べればその割合は比較にならないが、華やかな雰囲気を持つ女性レーサーが増えることを願って止まない。

 もっとも女性だからといってレースとなれば、勝負は別。その時ばかりは、激しいレディー達の闘いが演じられる。

大選手団のスタート前光景

 丸岡のコースは1周が27キロで、それを1300人が走るのだから当然混雑する。一般公道を利用して行われる関係上、交通規制もしかれている訳で、手際の良いスタートが要求される。だから、カテゴリー別に脚力のあるクラスから順にスタートしていく。
 まず小学生A(5,6 年)・小学生B(3,4年)・小学生C(1,2年)150人が一斉にスタートしたあと、約40分おいて、チャンピオン(経験者)、ヤング(29歳まで)、ヤングミドル(34歳まで)、ミドル(39歳まで)、シニアA(40〜49歳まで)、シニアB(50歳以上)、ジュニア(中学生)、レディス(中学生以上)まで、3分刻みでスタートしていく。スタート付近はご覧のように観客と選手達でごった返し、活気に満ちあふれていた。

必勝を誓って、鷲田幸司ジュニアの部に出場

 私の息子(写真左、福井市社中学3年生・バルバクラブ所属)がこの地元丸岡大会に必勝を誓って出場した。昨年はゴールスプリントで、千葉県の金山慎一郎君(写真右、パインヒルズ’90所属)に交わされ苦渋を嘗めさせられたが、今年はシーズンインと同時に名門バルバチームの面々と厳しい練習を開始。早朝4時半から多い時で1日200キロを走り込み、この大会、自信を持って出場した。
 幸司は、小学3年生から鈴鹿ロード大会や全国津々浦々、兄の佳史と共にロード大会に出場し、昨年辺りから頭角を現してきた。父の影響もあり、将来は競輪選手を目指しているということだが、一歩一歩着実に階段を上ってきた努力家である。また、性格的に誰からも親しまれる人気者でバルバチームのマスコットボーイとして活躍している。

鷲田幸司 ジュニアの部スタート

 ジュニアの部がスタートした。エントリー数は17人だが、大阪、兵庫、京都、千葉、福島から大人顔負け(いや脚負け)のフレッシュな中学生が帰伏にとんだ27キロのコース挑み、元気に飛び出していった。
 余談だが、幸司の乗る自転車はシマノジュラエース、カレラアルミ製フレームで、総額40数万円という代物。自転車競技は他の競技と違い、兎に角、カネのかかるスポーツだ。それも年々身体の成長と脚力の向上とともに高額な物が欲しくなってきて、親も親バカでやる気を出させるため、勝ってもらうためにと、投ずることを惜しまない。お陰でプロで稼ぐ私の自転車より息子達が乗る自転車の方が遙かに高額だ。
 でも、しかし、今のこのご時世、子育てにも何かと苦労する時代にあって、自転車に一生懸命取り組んでくれたら安い物だと考えている。お陰で、その費用捻出に、私の競輪の成績も良い。何かを負わされないと、人間、力が出ないものである。これはどこの親御さんとて同じ事だろう。時代に合わせた柔軟な考え方が求められている。

 自分が中学生の時に出来なかった夢を、今、息子が代わりに走っている姿を見れるといのは、お金には換えられない楽しみの一つである。

まさかのパンク事故

 人生、一寸先には何が起きるか予測出来ないものである。例えば何気なく買った宝くじが3億円だったり(私はまだない)、朝、元気に会社に出社したら交通事故に遭ったり、隕石が屋根に落ちてきたり、知らない美人から声を掛けられたり(最近はない、昔は毎日あった?)、街道練習中に突然犬に吠えられたり(これはよくある)、1万円札を拾ったり(まだない)、女房から突然、三行半を突き付けられたり(今のところ何とか大丈夫)、などなど人間だれしも順風満帆の日常を暮らせるという保証は何処にもない。
 必勝を期して今スタートしたばかりの幸司が、スタートしてからものの1.5キロほどの地点でパンクしてしまった。すぐさまスタート地点まで引き返し、車輪を交換して集団を追って行ったのだが、まさかパンクで引き返してくるなど、一体誰が想像したことか。
 私は、ジュニアのスタートを見届けてから3分後のレディースのスタートを見て、車の所に戻ろうとしたら幸司が「パンク!パンク!」と叫びながらウロウロしているではないか。たまたま私は自分のロードレーサーを持っていたところだったので、すぐさま私の車輪とパンクした幸司の車輪を交換し、「諦めるな!」と声を掛けるや、幸司は必死の形相で追っかけて行った。
 この日の為に、私は入念な整備をし、勿論、決戦タイヤも新品、変速機などあらゆる面をチェックした。パンクしたらいけないと当日は空気圧も控えめにして、万全の状態で臨んでこの始末だった。
 パンクするハズなどないのにと、タイヤを確認したら、なんとクギがブスリと突き刺さっているではないか。「オーマイガーッ!」
 なんと不運な、ジュニアの前にはもう既に1200人は走っているというのに、狭い道路とはいえこのクギを踏む確率も少ない上、例え踏んだところで突き刺さることも無いだろう。この地元の大会に中学3年生最後の夏休みに、なんでパンクなどするの。あーあ神様はなんてひどいことをするのか?
 親子共々、試練を与えたもうか。私は茫然自失の状態で幸司の帰りを待っていた…。

幸司、大健闘!5位でゴール

 この日の為に頑張ってきた幸司にしてみれば、このままふてくされてレースを放棄してしまうほどヤワな根性の持ち主ではなかった。ただ一目散に先頭集団に追いつくことだけを考えていたに違いない。どんなことがあろうともゴールだけはして、悔いの残らない大会にしたい。そんな気持ちで追いかけていたに違いない。
 ジュニアの優勝は昨年に続き千葉の金山慎一郎君だった。それから遅れること6〜7分が経過。幸司の姿が見えた。観衆から声援が飛ぶ。ジュニア17人中5位でフィニッシュした。結果も凄いが、何より諦めずに最後まで走ったことが素晴らしい。ジュニアの3分後にスタートしたレディースやシニアBの選手など「少なくても途中で50〜60人は抜いた」と、幸司は息弾ませてレースを振り返り、熱くしゃべった。
 パンクして戻ってきた時の悲痛な状況とは違い、レース後はさわやかな表情だった。結果はともかくとして、完全燃焼をした充実感がその表情からうかがわれた。

 優勝はできなかったもののそれ以上の何かを幸司は、この大会で勝ち取ったに違いない

レース後の風景

 主催する丸岡町と(財)丸岡体育振興事業団は、全国から参加する選手の為に丸岡町を知っていただくためのPRも含め、自転車競技を通じて交流を深めている。

 丸岡城のすぐ近く、ふれあい広場には、多くの走り終えた選手がお互いの健闘を讃え合う姿が見られた。
 写真の向こうの建物は町民体育館で、各種競技大会も開催されるなど、スポーツ振興に取り組む丸岡町の意欲的な姿勢がうかがえられる。


濱野雅樹選手(福井・66期・A1・30歳)夫婦で応援

 私の弟子・濱野雅樹選手家族も毎年応援に来てくれる。
 今年は一人増え4人で熱い中、幸司のレースを応援してくれた。実は4年前の1996年4月24日に濱野雅樹夫婦の仲人をさせてもらっているのだが、奥様のむつみさんは、1995年武生市で開催された体操世界選手権の公式コンパニオンを務めるなど英語も堪能、なかなかの美人である。
 説明が長くなりそうだから、これはまたの機会に紹介するとして、濱野雅樹選手を見かけたら、私共々ご声援のほど宜しくお願い致します。


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