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平成12年度(2000年) 岐阜総体
高校総体自転車競技

わしだよしふみ
鷲田佳史(福井県北陸高校2年)出場

 

高校総体ポイントレース観戦記

 平成12年度高校総体は岐阜県で開催され、自転車競技トラックレースは大垣市の大垣競輪場で8月9日〜11 日の期間開催された。
 福井県からは、名門科学技術高校(辻政男監督)と市田佳寿浩選手の出身高・春江工業高校(中梶秀則監督)、それに昨年発足した北陸高校(藤原有仁監督)の3高の選手が参加した。北陸高校からは、鷲田佳史がポイントレースに参加、真夏の炎天下、健闘をみせた。

 9日午後2時50分から開始されたポイントレース予選第4組に出場した鷲田(ゼッケン1番)は、インターハイの予選となる北信越大会を1位で通過、昨年の岩手総体に引き続き、二年連続同種目に出場した。


 昨年(1999年)、鷲田は1年生ながら北信越大会を4位の成績で岩手県・紫波町で開催されたインターハイに出場したが、惜しくも予選7位(6位まで決勝進出)で惨敗。今年は、決勝進出は勿論のこと優勝を目指してトレーニングに励んでいた。
 ポイントレースとは、決められた距離(予選16km、決勝24km)のなかで、2km(5周)毎の通過順に、1着5点、2着3点、3着2点、4着1点、の得点が与えられ、その合計得点で順位を競うというレースである。
 この種目には、スピードは勿論のこと、ダッシュ力、持久力、そして駆け引きのうまさが求められ、自転車トラック競技においては、最も過酷な競技である。
 鷲田は、ゼッケン1番ということもあり各選手からマークされる立場だった。決勝進出には、10点が必要であり、序盤で7点を獲得し、決勝進出に向かって余裕のレース運びで周回を重ねた。

 鷲田の進学する北陸高校は今年2000年に開校120年を迎えるというという仏教系私立の伝統ある進学校だ。
 またスポーツも盛んで各競技とも全国レベルに達しているものもあり、文武両道を目指す同校の積極姿勢がうかがえる。しかし、自転車同好会として発足したばかりでは、予算も下りず機材の購入は自前に頼らざるを得ない。だから、同好会の実績と部員の獲得如何が今後の部昇格としての必要条件だし、それ故、鷲田の活躍が期待されるところだった。

 「俺が頑張らないと!」

 
鷲田は、自分のこと以外に学校の名誉と部昇格への期待を一身に受けて何度もダッシュした。

 それは、中盤にさしかかる残り25周(40周する)を過ぎた時点で起きた。 気を緩めた訳でもなかったのだろうが、前走者と接触して落車してしまった。
 金網の外から作戦指令していた私は、思わず大きな声で「なにやってんだー!」と悲痛な叫びを発した。
 万一の場合に備えて、各選手とも代車を用意してあるが、鷲田も立ち上がって代車を1年生の桑門から受け取ると、係員の指示に従って再乗した。
 その間のこちらの心情たるや言い表すことができない。丸岡の幸司(次男)のパンク事故(2000.8.6)といい、佳史(長男)の落車(2000.8.9)といい、勝負に絶対は無い、ということがこれで分かる。現実というのは、映画のストーリィのようにはいかない、と競走日記でも書いたが、息子達のレースにもそのことが現れている。
 代車にまたがなければならない、ということは自転車の破損もひどかったのだろうか?ケガは大丈夫だろうか?兎に角、レースに復帰できるようだったから、頑張って欲しい。何とか予選通過に必要な点数を取ってもらいたかった。


 ポイントレースにおいて落車事故があった場合は、その落車した選手の救済措置として、集団に復帰するまで周回遅れとしてカウントしない、という規則がある。
 この大垣の場合、3周がその集団復帰までの猶予周回数であるが、鷲田は何とかその周回数までに先頭集団に復帰することができた。しかし、ここまで、鷲田の獲得したポイントは7点。あと3点取らないと確実に予選通過はできないかも知れない。そのことは本人も知っているし、昨年の岩手では7点で予選を敗退している。
 私は、でかい声で指示を与えた。「ヨシフミ、7点だぞ7点、脚を溜めて1着を狙え!」こんなに大きな声はついぞ出したことが無かった(と思う)。
 レース前の作戦で、私は鷲田に「予選は何が起きるか分からないから序盤から得点しろ!」と言っていたことが現実になった。兎に角、あと3点いやあと5点、1着を獲らなければならなかった。

 ディスクホイールを履いたカーボン製のフレームとは違い、代車で使用した自転車は、競輪で使用するクロモリ鋼フレームにスポーク車輪。スポーツカーと乗用車の違いがあるだけに、苦しそうな顔をしていた。おまけに擦過傷もあり、脚からは血が流れていた。
 「がんばれ!よしふみ!あと5点だ〜!」名字を呼ぶと作戦を他の選手にも伝えることになるから下の名前を呼んだ。鷲田(写真下段前から4番目)はしっかりと頷いた。分かっているようだ。あとは何処でその点数を取るかだ。焦ってはダメだ。私は動揺がある鷲田の走行を見極めて「次取れ!次だぞー!」と声を掛けた。
 祈るような気持ちだった。そして、残り10周のポイントで4番手の位置から捲り追い込みを決め、1着でゴール。「ヨッシャー!」思わず叫んだ。
 それは、必死の追い込み勝負だった。落車と自転車の影響で鷲田はもう一杯の状態だった。そして最後何とか集団の後続でゴールしたが、もう余力はなかったようだった。
 でも、決勝進出は間違いないだろう。私は、ぼろぼろになって決勝進出を果たした息子の頑張りに「よくやったぞ!」と声を掛けた。

最後の力を振り絞る

 レース終了後、息子の傷の手当と自転車の修繕をした。一日置いてあさって11 日が決勝戦だった。中一日あって良かった。
 私は息子の事が心配だったが、監督さんに任せて、翌日(2000.8.10前検日)の富山競輪参加のため大垣を後にした。

翌日(2000.8.12)の地元福井新聞の報道記事。
期待の大きさがわかる。

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平成12年度高校総体自転車競技

2000年岐阜総体

福井県北陸高校2年・鷲田佳史

 ポイントレース決勝・9位


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