講演会「男のスカート、女のズボン
横濱たより103号
 
2002.10.25 発行

性差(ジェンダー)とデザインのファッション史
 2002年10月20日(日)雑誌編集者・評論家の山田五郎氏の講演会があるというので生活倉庫に出かけてきた。最近はテレビを余り見ないが大学生時代に深夜番組「タモリ倶楽部」でよく見ていた方だ。お洒落な黒のスーツに吊りズボンをはいていた。
 デザインというか生産物は目的や機能性だけで作られるものではなく、無意識にその国の風土や文化の文法に支配される。兵器のような目的のはっきりしたものでさえ、国によって全くデザインの違ったものが出来上がることから話を始めた。
 1800年のパリ市の警察条例のように女性のズボンを禁止した法律は世界各国に存在するが、男のスカートを禁止する法律はない。それでも男のスカートが普及しない原因はどこにあるかと問題提起。
 
フランス革命以前の貴族社会は農業が基盤で、貴族は働く必要が無かったので男も女も派手な衣装を着ていた。歴史の教科書に登場するように男女の差ではなく、金持ちは派手、貧乏人は地味という構図だった。それが、市民革命以降、商工業をベースにした市民社会に変わっていった。資本主義のおかしさとして常に対前年比でアップしなければならないと宿命がある。その為には働かなくてはならず、機能的な地味は服装が台頭してきた。プロテスタントの考え方も勤勉を奨励し、市民社会の価値観と合致していたと分析した。アメリカの社会学者デブリンの「有閑階級の理論」では「代替消費」という考え方が提唱された。自分自身が派手に出来ないために、妻や娘を着飾ったりする。現代でもお受験やお稽古事も代替消費の一部と考えられる。
 さらに19世紀中頃、ヨーロッパ各国の富国強兵政策で母体の健康を優先させ、無理なコルセットなどは衰退していく。スポーツの台頭も見逃せない。心身を鍛えるという言い訳が出来る娯楽として広がっていき、締め付ける服を着なくなる。幕末にパリ万博に出品された日本の着物などに注目が集まりジャポニズムのブームもあった。
 決定的な影響を与えたのは、第一次世界大戦(1914-1917)で人類史上初の総力戦として職業軍人以外も徴兵され、工場への徴用や、鉄不足によりコルセットの鉄線使用が制限されたりした。1920年代は労働力不足を補うための女性の社会進出が促進され、ココ・シャネルのギャルソン・ファッション(短髪で平べったい胸、短いスカート)が世の中に出てきた。


ミニスカートの持つ別の側面と男の育児休暇

 ミニスカートはセクシーのシンボルのように考えられている。オヤジ族としては鼻の下を伸ばすのがお約束的になっている。
 昔から不況になるとミニスカートが流行する傾向があるが、その時期は同時にパンツルックも流行する。ミニスカートはセクシーという記号だけではなく、活動的・機能的という側面も強い。その為、パンツルックも時代背景的に流行する。
 女が男の領域に踏み込んでくるのはさほど抵抗がないが、男が女の領域に入っていこうとすると無言の圧力を受ける。私に子供が出来たときに育児休暇を取ろうとしたが、全く理解されない。回りからはもの凄い反対にあった。それまで男女平等の考え方に理解を示していたような人まで反対のことを言ってくるようになり、とても驚いた。
 そんな価値観の社会では男のスカートが普及するとは考えられない。18世紀末にヨーロッパで作られた極めて例外的な服飾体系は脈々と続いている。アイルランド人は今でも男がスカートをはくが、それは、イングランドへの対抗心の強さが故のケルト民族の文化を大切にした名残と締めくくった。

 

 

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