今回は久しぶりのS級シリーズ戦。
CSチャンネルで全国に放送されるし私は朝8時(前検日の2000年5月19日)、張り切って名古屋に出発した。
北陸自動車道を米原まで上り、名神高速道路から名古屋インターを降り立ったのは午前10時を少し回ったところだった。
名古屋はデビュー以来この26年間なぜか一度も優勝経験がない。しかし、今回はメンバー的に前回岸和田で優勝している滋賀の松山裕一朗がいるし、何がなんでも「優勝」をと思って臨んだ。
ただS級シリーズは活気があっていいのだが、問題なのはA級戦はレース開始が早いということだ。
朝練習が終わると横になるのもままならず、すぐにウオーミングアップを開始しなければならない。
これがどうも調子がとりにくい。でも、まあ条件は同じだからそんなことはいってられない。
で、初日特選は松山-鷲田-松本の近畿勢に対して、森田-国崎-石原-甲斐下の西日本ラインが対抗。目標のない水谷-前川の中部勢は、先手ラインに切り換えて勝負してくることが予想され、二分戦の戦いだった。
前回の四日市ではスタートで重注を2回も頂戴しているし、もうこれ以上付けることは出来ない。でも、二分戦だけに先手を取るにはやはり後方からの責めに限る。
心配しながらレースは開始されたが、中部勢が前を取ってくれたお陰でスタートはスムーズにいった。並びは前受けの中部勢に対して、中団は森田以下の西日本勢、後方は近畿勢で、動きが出たのは赤板ホームストレッチ付近だった。
松山は森田を押さえにかかりそのままゆっくり先頭に出ると、バンク上段まで上がりスローペースに持ち込んだ。
すると森田は素速く近畿松本の後方まで下げ、巻き返しのタイミングを計る。私は一瞬「行かれる!」と思った瞬間、森田は一気に後方からダッシュ。
おまけに一回被せた中部勢までインからしゃくり上げて来る始末。何の為に後方を取ったのかこれでは全く意味がなくなってしまった。ジャンで一瞬のうちに後方7番手以下に追いやられた近畿勢の最後の望みは、松山のT捲りUしかなかったが、森田の駆かりが良く、そのまま逃げ切られ、私は5着に入るのが精一杯だった。
レース後、松山はしきりに私と松本に謝る。でも、終わったレースをとやかく言っても仕方がない。「優勝戦がんばろうや」とニッコリ微笑んで返した。
これが私の良いところだ。よく怒鳴る追い込み選手がいるがこれは頂けない。先行選手とてそこのところは分かっているハズ(分かっていない選手もいるが)。
それを嫌みたらしくクドクド言うと逆効果になってしまう。ここはグっと押さえて「また頼むよ」と言うのが正解であり、男なのだ。
てな訳で、初日は不完全燃焼で終わったのだった。
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