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熊本普通競輪 第2日目 準優 2000年6月11日(

 二日目準優、どうも熊本に来てから体調が悪い。大好きなビールの喉越しも今ひとつだったし、蒸し暑い上に宿舎割り当ての部屋に同居する仲間に寒がり屋がいて、就寝後エアコンが利かせない状態で寝起きの悪い朝を迎え、スポーツ紙に目を通した。前日の新聞記者からのコメント取材で準優のメンバーは知っていた。特選で見事な捲り追い込みを決めた地元の太田黒との再戦だった。ラインは4つに分かれそうで、太田黒-伊木-山下の九州勢、水本(岡山)-平坂(広島)、中川(三重)-川西(徳島)、そして刀根-鷲田の福井勢だった。
 刀根に脚を使わせず上手に走らせることがこの日のポイントだったが、私が一番恐れたのは太田黒より中川の捲りだった。5月四日市で中川は991と数字的には悪かったが、成績以上の内容だった。あの時は、私の好ブロックに阻まれ準優敗退したが、今日はその私のブロックも出そうにない。刀根が仕掛けて私のすぐ後ろから捲りを打たれた日にゃたまらない。兎に角、刀根に頑張ってもらうだけだった。
 周回は私の予想通り、太田黒-伊木-山下-刀根-鷲田-中川-川西-水本-平坂で回わった。あとは水本-平坂が動いたあと中川-川西が切り換えるかどうかであった。ジャン前で水本-平坂が上昇を開始するとやはり中川-川西が切り換え、刀根は4コーナーを立ち直ったところからスパートし、前団を一気に叩いて先行態勢に入った。すかさず太田黒が捲り上げて来たが、私の後輪にかかった程度で浮いた。これは絶好の展開になったぞ、と思った。バック刀根は全力でもがく。よっしゃこれで誰も来ないだろうと思いきや、5番車、あの恐れていた中川が捲ってきた。事故点リミットの私には成す術がない。無い袖は振れない、いや事故点あるヤツ自転車振れない。私は、中川-川西が通過するのを待ち3番手に切り換えることを考えた。
 中川-川西は締め気味に通過したが、私はここぞとばかり3番手に切り換えた。突然、ガシャン、という金属音がなったと思ったら自転車が急に失速した。何じゃこりゃ。私はオカマを掘られたと思った。スポークがバラバラに折れ、後輪がつぶれるのではないかと心配したが、ゴール後止まった。まだその時は、自分が失格の対象などとは思ってもみなかった。歩いて敢闘門まで帰る途中、場内アナウンスがあった。
「ただいまの審議の対象は2番と3番です。審議しますのでしばらくお待ち下さい」 (ウソだろー、俺が対象って、一体どこ見てんるんだ)
 信じられないアナウンスの声に一瞬自分の耳を疑った。私は急いで控え室に設置してあるデジタルビデオカメラを巻き戻し、たった今終えたばかりのレースを振り返った。取材のためのビデオがまさか自分の失格の判定を確認するものになるとは皮肉なものだった。
 やがて場内アナウンスの放送があった。女性の声だった。一般的に男性が審議の結果を放送をするときには失格の判定が出るが、女性の声で始まったから、もしや(大丈夫か)と思った。しかし、無情にも「3番選手は失格とします」というおぞましい声。ガーン。開催指導員室のモニターで何度もTそのシーンUをスローで確認した。
 今の競技規則では事象が発生した場合、程度(行為)の差はどうであれ原因がどこにあったかで判定する。妨害意識があったかなかったかが問題ではなく、事故があった場合の初動行為が追求されるのである。私が3番手に切り換えた「斜行」が僅かだったとはいえ、それが2番車との接触につながったという判定内容だった。
 競輪の審判は厳正である。ここは厳粛に判定を受け留めるしかない。
 熊本から福井の道のり(飛行機で大阪まで飛び、JRで福井まで)は大変長いものだった。悪い夢を見ているのではとホッペタをつねりはしなかったが、現実だった。神はまた私に試練を与えたもうた。 (高が失格ぐらいでそう嘆くな、命まで獲られた訳ではあるまい。終わったことは仕方がないさ、くよくよするな、元気をだせ!)

 私は、熊本からの長い道のり、ただひたすら気持ちの修復に努めていた…。

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