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大垣普通競輪 第1日目 初日特選 2000年6月25日(

 今回参加(2000年6月25〜27日)の大垣競輪場は福井から一番近い距離にある。前回の熊本の参加の時から比べるとホントに楽な移動距離である。熊本の悪夢から中11日間、さすがの私も立ち直りに時間を要したが、しかし、いつまでも落ち込んではいられない。試練を乗り越えるべく、気を取り戻し、一路大垣へと向かった。
 前回、私が大垣に参加したのはちょうど1年前の1999年6月23〜25日の開催で、その時は大阪の岡崎和久(78期)の先行に乗って優勝(52)している。あれから1年、光陰矢の如しであるが、あの時のいいイメージを想像して気分を盛り上げることに努めた。

 初日特選メンバー、関東は吉田-阿部-森、中部は鷲見-小田-山崎、近畿は松山-鷲田-平田に分かれての綺麗な三分戦だった。松山(滋賀、75期)とは前々回名古屋で初日特選と三日目優勝戦で顔を合わせておりTデキUの方は確認済み。鷲見との先手争いにどう出るかがポイントだった。
 号砲が鳴って少し牽制があったが素速く4番車の吉田が前へ出た。私も後に続き、中団4番手の位置を確保、松山を迎え入れ、周回は吉田-阿部-森-松山-鷲田-平田-鷲見-小田-山崎の並びで落ち着いた。
 周回中から私はどうも腰の位置が定まらなかった。この参加の前、練習でサドルの位置(セッティング)を変えたのだが、どうも本番ではしっくりこなかった。そして、なんかおかしいな、と思っているうちに赤番を迎えた。
 そろそろ鷲見が上昇してくるころだ。鷲見は一旦、松山のところで併走し、仕掛けのタイミングを計った。競技規則が変わり、誘導員をジャンのバック線前で交わすと重大走行注意で-1点が付加されるから先行選手も仕掛け所に気を使う。前に付ける先行選手はその点どうしても不利である。加速してくる後続のラインにダッシュで併せるのは至難のワザだが、吉田はその鷲見の上昇に併せるかのように猛然とダッシュ。後は松山の出方次第だったが、松山は前走3車と後続3車のモガキ合いの上を強烈に捲り返しに出た。その鋭いダッシュに私は一瞬立ち後れた。A級戦では滅多に立ち後れたことはなかったが、この日の松山のダッシュはS級選手のそれだった。でも何とか食い付いてホームストレッチでは鷲見の前に出切ることができた。あのダッシュでは3番手の平田が千切れるのも無理はなかった。
 最終バックストレッチ、鷲見が私のすぐ後ろにいるのは分かっていたが、脚が重い。最終4コーナー、鷲見が早めに追い込んで来る。私は絶好の番手にいながらもT付いていて一杯Uの状態。そしてゴールは絶好の番手にいながら6着という惨敗。いわゆる番六(最終4コーナー2番手を回って6着の意)というヤツ。前回の熊本の初日も番四だったが、それを上回る不名誉な結果にレース後、立っていることすら出来ず座り込んでしまった。

 (一通りの練習もこなしてきたのになぜだろう。疲れが残っているのかな?)私は、結果の原因を見つけるのに躍起になっていた。そして気を取り戻した私はサドルの調整を試みにローラー場へと向かった。兎に角、この状態で明日の準優を待つことはできない。

(このまま俺は終わってしまうのだろうか。いやいや、疲れが残っていただけさ)

 いろいろ不安な思いが押し寄せてきた。
 私はサドルの調整をしながらその不安と必死に立ち向かっていた。

 

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