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大垣普通競輪 第2日目 準優 2000年6月26日(月)

  不利を克服してこそ上位で君臨できる

 大垣の参加に向けて一応やるだけのことはやってきただけに、初日特選の負け方は納得がいかないものだった。何が悪かったのか、なぜあんな負け方をしたのか、理由探しに夕べはビールを2本飲んで早々と床に入ってしまった。
 二日目準優は初日同様、朝から雨が降っていた。梅雨だから仕方がないというものの、走路での朝練が出来ないというのは、調整をするうえでは困ったものだった。ローラー練習ではもう一つ感触がつかめないので不安がつのった。おまけに梅雨の鬱陶しい天気で体もだるかった。準優のメンバーは特選を制した鷲見との再戦だった。熊本の準優でも特選を制した地元の太田黒との再戦だったが、どうも二場所続けて準優のメンバー構成が悪かった。しかし、今までも何とか準優をクリアしてきたし、弱気なことはいってられない。不利を克服してこそ上位で君臨できるのである。
 私は、この準優、取りあえず優勝戦に勝ち上がる作戦を考えた。ライン的には兵庫の河元がいたが、中部ラインの先行鷲見の97点台、南関ラインの先行田村の92点台と比べると、河元は83点台であった。どうしても力量的に苦戦を強いられそうだった。まして河元は徹底先行でもないし、予選2着で勝ち上がった内容も決して良くない。
 そして万一、河元が先頭に立ったとしても私が自力勝負に出られる脚勢は、昨日の調子からは考えられないし、かといって牙と爪を抜かれたライオンも今となってはただのTぬいぐるみU状態でマーク屋としての仕事もこれ以上はできない。
 だからこのレース、1着は無理としても3着に何とか入って明日の優勝戦に望みをつなごうと決心した。選手紹介でも河元には悪かったが付けなかった。
 号砲一発、その準優戦がスタートした。6枠両者それに6番車の河元が前に出た。私もその後を追った。態勢が整ったのは残り3周を示す青板を過ぎた1コーナー付近だった。6枠両者が車を下げ、結局、並びは河元- 鷲田-片山-鷲見- 山崎-馬場-田村-尾形-武藤で落ち着いた。私の考えた作戦というのは先手を取ったラインの4番手から直線勝負に賭けるこただった。うまくコースが空けば3着ぐらいには突っ込めるだろうと思ったからだった。だから最初から河元に付けて途中で切り換えるというのは、いくら何でも河元を裏切ることになるから、それなら最初から河元には付けず、要所で先手に切り換えればいいと思ったのだったが、結局、周回は河元の後ろに付ける展開になってしまった。
 しかし、今さら作戦を変更するわけにもいかず、私はジャンがなった4コーナー付近で先手を取った南関勢のうしろ4番手に切り換えたのだった。
 最終2コーナーの並びは田村-尾形-武藤- 鷲田-片山-河元-鷲見- 山崎-馬場の順だった。昨日より断然脚が軽かった。これならいける!と思った。
 逃げる田村の駆かりも悪くなかった。あとは鷲見の捲りに合わせて外に踏むかインコースを突くかどちらかだった。
 そして、私が4コーナーで狙っていたコースは、前走9番車の武藤のインコースを付いての中割りだった。でもこれは一つ間違えれば踏めず仕舞いの危険なコース。
 わたしはその時、獲物を狙うライオンになっていた。バック、鷲見が渾身捲りを打ってきた。私はジッとインコースの空くのを待っていた。果たして4コーナー手前、9番車が外帯線を外す一瞬のスキを突き、中を割った。
 しかし、番手の7番車尾形には当たれない。重注をもらってしまうからだ。普通ならここでこじ開けて1着のパターンだったかもしれなかったが、2着で入線した。検車場で9番車の武藤が私に言った。「後ろはてっきり6番車の河元だと思ったので油断したよ」と。

 私は、河元の心情を考えると、決して嬉しい勝ち上がり方ではなかったのだった。

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