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富山普通競輪 第1日目 初日特選 2000年7月1日(

 人間、気力が大切だと、いつも自分に言い聞かせている

 今期は4月(和歌山、福井)5月(四日市、名古屋)6月(熊本、大垣)ときて、7月は(岸和田、向日町)となっているが、通常一期間の適正斡旋数は9回となっている。だから私の場合、今期正配分は8回だから追加斡旋を頼んでいたが、それが一体どの時期に、またどの競輪場になるかは分からなかった。出来ることならこちらの都合通りのところがいい訳だがそうもいかない。
 第一優先的に配分はあるというものの、欠場選手がなければ斡旋も出来ないわけで、私はいつ来るとも知れない追加斡旋に半信半疑で待っていた。ひょっとして今期は追加斡旋がないかも知れないと、それじゃ溜まっていたホームページの更新をしようと思っていたら、大垣終了翌日の午後になって「6ツキ30ヒ トヤマツイスサンカスルヤ ウナヘン ニチジシン」という電報が届いた。
 大垣終了がきのう6月27日だから中二日の配分だった。大垣で優勝に乗ったとは言え、決して調子は良くない。しかし、今期もいろいろな事情を考えるとこの追加は断れない。私は富山の参加申し込みの返事を出すと、中二日の緊急指令に対処すべく気持ちを引き締める事にした。

 さて誰と一緒かなと早速配分表を確認すると、何とラッキーなことに、相性の良い田中俊充ではないか。田中俊充とは過去何回か連携しているが最近では、昨年12月の向日町(S級シリーズA級優勝戦)で乗り合わせ優勝させてもらっているし、今年2月の岐阜では、一緒に参加して田中は優勝戦に進出できなかったものの、勝俣智身(神奈川・59期)の先行に乗り優勝しているなど相性は抜群であった。
 田中も福井の正選手が欠場したため一人参加だったので、同じ町内に住む田中の車(黒のシボレー)で一緒に参加した。

 初日特選は勿論、田中の後ろだった。近畿では他に和歌山のベテラン岡本新吾(42期)、西では今期4月に福井で優勝をさらわれた平尾昌也(長崎)を筆頭に、柳井襄志(山口)、高田久男(岡山)、吉良勝信(福岡)、中部地区は熊本で初日特選連携した地元期待の堀田英利(81期)、中村幸雄(愛知)らがいた。兎に角、この富山でも事故点で前受けは必死で、当の田中も今期事故点をもうこれ以上付けられない状態。

 一応牽制はしたものの、三三バンクではあっというまに誘導員との差が十車身以上離れてしまうから、うかうか出来ない。スタートしてほんの僅か牽制したが8番車の吉良が前に飛び出した。ここで放っておくと前走者との間隔十車身差でまた重注になるからすぐに後を追った。周回は吉良-田中-鷲田-岡本-平尾-柳井-堀田-中村-高田並びで回った。
 岡本は切り換えることはしないまでも、堀田が上昇を開始すれば小回りバンクのこと、みんな切り換えて来るだろうから近畿ラインは7番手以下になることは承知していた。後は田中どこから巻き返すかだが、ダッシュの良い田中に中二日の未完成な状態で付いていけるかどうかが心配だった。
 赤板、堀田の上昇に1番4番車も切り換えてきた。ジャン前の2コーナー、私はここだ!と思った。田中は私のその思いに応えるかのように踏み込んでいった。田中の出足は抜群だった。堀田の中バンク走行をもろともせず、一気のカマしに付いていく私は一瞬離れかけた。ここで離れたら何しているか分からない。私は田中の後に食い下がった。田中は堀田が一瞬流した上を襲いかかり、残り1周のホームストレッチでは先頭に立っていた。
 私も何とか後に付き、堀田の横を通過した。後は平尾-柳井のラインの捲りを警戒するだけだが、最終バック、その白のユニフォームが伸びて来ない。付いている私は一杯の状態だったが、最終4コーナー、抜かねばならぬと必死の形相(たぶん)で抜いた。

 終わってあちらこちらから声が飛んだ。
 地元の堀田に対する罵声やら、私に対するどよめきやら。当の私も複雑な気持ちだった。
 人間、気力が大切だと、いつも自分に言い聞かせているが、正に今日の勝利は、それを実践した内容であった。

 (初日特選、同県の田中俊充とのワンツー、それだけで富山に来た甲斐があった)と内心思った。

 私はその時、富山のファンに対する責任がすべて終わったような、そんな錯覚に陥っていた。






 



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