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富山普通競輪 第2日目 準優 2000年7月2日(

 人生とは誠に流動的かつ調整の効かない代物である。

 初日のレース終了後、クールダウンが終わって検車場に戻ってきたら「鷲田さん良い話があるんですよ」と、ある新聞記者が言った。今更、女房に子供が出来たのでもないだろうし、また追加斡旋が入った訳でもないだろうし「なに?、何?」と聞けば、その記者はノートブック片手に「明日また田中選手と一緒なんですよ」と、ニッコリと微笑むのだった。私はそんなことついぞ考えてもみなかったことだけに「え?ホント?いやーそれは素晴らしい」と、思わず歓声を上げた。
 熊本の準優といい、大垣の準優といい、厳しいメンバーが続いていただけに、人生悪いことばかりではない、とその時思った。ただ、明日また今日と同じ展開を予想出来るだけに、正直なところ嬉しい反面、また付いていけるだろうかという不安があった。まっ、明日は明日の風が吹く、今から考えても仕方がないと、その晩は大好きなビールを飲んで、勝利の喜びを自分の心で味わったのだった。
 準優の朝、梅雨空が一転して真夏の太陽が照りつけていた。今日もゆうに摂氏30度は越えるだろう。
 私はいつものように1便の練習時間帯から練習するため早めにバンクに向かった。兎に角、今の不安な材料を克服するには、練習で納得のいくフォームを完成するしかなかった。サドルの調整が大分良くなってきたとはいえ、まだまだ満足するにはほど遠い。どんなスポーツでもフォームというのは重要な要素を占めている。ゴルフ、野球、水泳、陸上、ウインタースポーツ等、恐らくそれに終点はない。また、フォームの調整を怠る者に上達など有り得ないと私は信ずる。
 しかし、時としてフォームの調整が失敗に終わり、返って不調に陥ってしまう時がある。今の私がその状態だった。今期、S級を狙うがあまり事故点も多発、練習では更にスピードの出るフォームをと模索するあまり、結局、裏目に出てしまう結果となる。人生とは誠に流動的かつ調整の効かない代物である。
 さて、レースは田中-鷲田に大久保(福岡)が付け、藤原-高田の岡山コンビには愛媛の越智、中部の林(岐阜)-星野(愛知)には右田(長崎)が付けての三分戦となった。
 このレースでは藤原-高田-越智ラインが脅威だった。藤原はS級で活躍していた実力者。S級時の先行力からすれば幾分陰りをみせたというものの、まだまだ力は上位級である。
 私の読みが正しければ藤原は必ず先行してくるはずだった。間違っても中部の林-星野-右田ラインの4番手からセコい捲りを狙うことはしないだろう。そこは元S級選手でならした先行選手。田中との先行に競り勝てば優勝戦に進出できると、真っ向から勝負してくるに違いない。果たしてレースは私の読み通りとなった。赤板、6番車以下の中部勢が上昇してくると、すかさず藤原-高田-越智は中部勢を叩き、先行態勢に入った。

 作戦を立てる時に最も重要なことは、自分が一番不利な状況に立たされた時のことを想定して臨むことである。でないとレース中にパニックになってしまうからである。
 あらゆる角度からそのレースを分析し、展開を予想すること、つまりこれはファンが車券を購入する場合の車券戦術と同じである。で、田中は慌てることなく車間を空け、前走集団の状況をじっくり確認したあと2コーナーバンクの下りの惰性を利用して鋭く踏み込んでいった。
 藤原は田中に捲られまいと中バンクを駆け上がり揺さぶりに出る。後続のマーク選手もそれに合わせて激しく揺さぶってきた。田中はその揺さぶりをかいくぐりグングン加速。昨日同様、あと1周のホームストレッチで先頭に立った。私も必死に付いていった。

 あとは田中とのマッチレース。最終4コーナー、私は抜ける、抜かねばならぬ、とハンドルを絞った。
 レース前のオッズでは初日特選の1,2着選手だから人気(枠連複式200円、車番単式310円)になるのも当然だったが、その期待に応えられたことが嬉しかった。
 そして、更に嬉しかったことは、追加配分、それも中2日で1,1着で勝ち上がったことだった。これも田中の頑張りがあってのことであった。その夜も私は宿舎のサウナで汗を出し、勝利の美酒を味わった。

 「明日もう一丁頑張ろう!」と、私が声を掛けると、田中は大きく頷いてくれた。

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