競走日記  トップページ

 
岸和田普通競輪 第1日目 初日特選 2000年7月16日(

  結果さえ出せば練習の出来不出来などは関係ない

 前回の富山から中11日もあったが、あっという間に岸和田の前検日を迎えた。
 この間、相変わらず忙しい毎日だったが、一通りの練習はやった。前回の富山でのレースでは、ダッシュが足りなかったのでそれを補う練習をした。ただ最近は納得のいく練習をしてレースに臨んだことがない。いつも誤魔化しの練習で参加しているようなもので、こんなことをいうとファンの皆さんからいい加減なヤツだ!と叱られるかもしれないが、
 しかし、実際問題、「どれほどの選手が納得がいった練習で参加するのか」ということを問われたならば、恐らく私は「参加選手全体の1割以下ではないだろうか」と答えるだろう。シーズンオフのない競輪選手は、1年中走りっぱなしである。1期4ヶ月間を最低21競走を走らないと自分の下のランクの点で計算される。だから競輪選手は、生涯走り詰めでレースに参加するため十分な調整は出来ない、と、断言はしないまでも、それに近い不十分な調整でレースに臨むことが多いのではないかと思う。これが歳を重ねると尚更のこと。若い時のような快復力が期待できないから、疲れが残ったまま次の参加となる。
 要は結果さえ出せば練習の出来不出来などは関係ない、のであって、これは競輪選手に限らずどんな職業も同じ事ではないだろうか。すべてのレースに全力投球でぶつかった日にゃ体がもたない。適当な時期に手抜きをしないと「なんたって人間、生身の体なんだから」と自他に言い訳。だが、私の今の状況では手抜きなど出来るほど余裕はなかった。

  初日特選は、近畿3車、中部4車、関東2車で、ラインは3つに分かれそうだった。
 中部は先行型が二人乗り、絶好調の田中雅史(愛知・79期)- 佐藤嘉修(愛知)ラインには関東2車が付けるとのコメント。
 もう一人の先行三重の中川貴史には富山の網谷修が付け、そして近畿は地元の岡崎(78期)に 岡田 - 鷲田 の99点強力マーカーが付ける並びとなった。
 私はこの特選、奈良の岡田に前を任せた。同じ99点台でも私の方が少し上だったが、今の私にはマーク屋としての「仕事」が出来ない。強力な田中雅史の捲りをブロック出来ない状態。これでは岡崎や岡田に迷惑をかけることになりかねない。ここは、岡崎 - 岡田 - 鷲田で対抗するのが一番だと考えた。
 レースは2周回目、田中 - 佐藤 - 池澤 - 高橋 - 中川 - 網谷 - 岡崎 - 岡田 - 鷲田で落ち着いた。
 田中はこのところ絶好調で4場所連続の優勝を飾っている。しかし、地元の岡崎も今は腰痛で点数を落としているが、本来の実力は田中と互角だ。ここは地元戦、調整ばっちりで臨んで来ているだろうし、先行さえしてくれればあとは岡田が何とかしてくれるだろうと、私は自分が描いたレース展開を想像しながら周回を重ねた。
 赤板過ぎ1センター付近から岡崎 - 岡田 - 鷲田が上昇を開始。田中は突っ張る気配もなくスッと車を下げて巻き返しに出る作戦だ。 中川 - 網谷の動向が気になったが、どっちみち私の後ろ4番手には中川か田中になるだろう。どうせなら 中川 - 網谷が切り換えてくれた方がこちらとしては戦いやすかったが、中部の結束というか4番手には田中が入り、機を窺う様子だった。
 私はこれはまずいと思った。田中にじっくり4番手から2角捲りに構えられては、分が悪いと思ったからだ。岡崎は先頭に立つとかなり踏み込んでいた。私はどうせ2角捲りだろうと思っていたその瞬間、田中がホームストレッチから猛然とスパートしてきた。私は一瞬立ち後れそうになった。まさか4番手からこんなに早く田中が巻き返してくるとは思わなかったからだった。岡崎はそれを警戒してか早めに踏み込んでいたし、ダッシュも良かった。
 そして、最終回1センター、仕事人・岡田の出番がきた。前期S級の実力者、岡田はキッチリと自分の仕事をこなした。
 私はやや立ち後れ気味で、前で繰り広げられるそのT競りUを見守った。岡田は難なく田中の奇襲を退けた。2角を回ってからの岡崎の駆かりも良く、後は近畿3人のゴール勝負だった。
 岡田は余裕を持って岡崎を交わし、私は車の伸びをもう一つ感じないながらも2着でゴールした。
 事故点を付けずに特選2着はT良しUとしなければならなかったが、調子の方が今一つという感じだっただけに満足するレースではなかった。


2日目に進む

競走日記のトップページに戻る  

  電子メールは、zen1@yacht.ocn.ne.jpまで