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岸和田普通競輪 第2日目 準優 2000年7月17日(月)

 重注を避けたつもりが重注を喫するとは皮肉な結果となった

 今期はあれよあれよという間に事故点が9.2までかさんでしまった。
 こんな言い方は誤解を招くかもしれないが、この内、私が妨害らしい妨害行為をしたと自覚(納得)しているのは、四日市の準優の重注と走注の1.2点、それと名古屋の準優の重注1点の合計2.2点ぐらいのもので、あとはスタート牽制による重注が合計3点、和歌山の初日中割りによる重注が1点、それと悪夢の熊本の準優の失格3点の合計7点によるものだが、正直なところ何とかならないものかと思う。
 8月からは新事故点制度が実施されるが、これがもし4月から実施されていたなら私のこの事故点の内容では、配分停止や特別指導訓練もなかったわけで、何ともいいようのない思いが残る。
 もっとも、選手は現状定められた競技規則の範疇において、その適正な走行が求められている訳で、それにそぐわなかった者(私)が悪いのである。少年法の改正が叫ばれているが、現状ではそれに従わなくては法律(規則)の意味がない。世の中とはそういうものである。そもそも事故点制度は落車を防止するための苦肉の策だったが、それによる弊害も出てきたので新事故点制度が考え出された訳である。恐らく「競輪」ほどめまぐるしく競技規則が変わる競技は、世界のどの競技(スポーツ)をみても類をみないであろう。
 これは競輪というものが、単純な競技(事業)ではないことを意味する。説明を変えれば、選手はいつも進化しており競技規則の裏をかいて走っているということだ。恐らく、このTイタチごっこUは競輪競走がある限り、永遠に続けられていくような気がしてならない。そして、私がもっとも危惧することは、こんな猫の目競輪に嫌気が差し、競輪から去っていくファンのことである。競輪の衰退は世の中の動向のみならず、こうした競輪競走がもたらす複雑な要因が少なからずあるかも知れない。いずれにせよ単純明快なものが最後に残るような気がする。
 またいつもの癖で前置きが長くなってしまった。準優の並びは、高橋 - 西田 - 北澤 - 柴田 - 高橋 - 井村 - 岡崎 - 鷲田 - 斉藤で回った。
 昨日の岡崎の走りからすれば、誰もが岡崎 - 鷲田のラインが優勢であると信じたはずだった。私もそう思った。それがそうはいかないところに競輪の難しさがあった。
 初日特選と同様に7番手から押さえ先行の岡崎、それに鷲田 - 斉藤が続き、昨日と同じように駆けてくれればいいわけであった。だが、岡崎に思い切りがなかった。北澤は岡崎の上昇に併せて近畿ラインの4番手を確保。北澤はどちらか言うと先行より捲りが得意な選手。岡崎は昨日の田中雅史のように早めの巻き返しは無いと思ったのか、先行態勢に入っても再三後ろを振り返って北澤の位置を確認。
 あと1周の4コーナーを過ぎても内側から北澤の位置を確認しているスキに一気にカマされてしまった。
 北澤以下の南関と関東の4車は、スルリと先頭に躍り出てしまった。岡崎が5番手に飛びついて捲りの態勢を整えるより早く後方待機の高橋が捲りを打ち、岡崎もそれを追った。
 私は岡崎には付いて行かず、最終3コーナー、自分のコースを捜した。こんな時、事故点が影響する。思い切って突っ込めないのである。
 最終4コーナー、普通なら1番車と3番車の車間に自転車を突っ込むところだが、万一のことを考えるとそんな危険な中割りは出来なかった。
 その判断に要する時間はほんの一瞬。私はインコースに進路を変え5番車がほんの僅か外帯線を外したのを確認して5番車の内側を付いた。結局、4コーナーからのスピードを殺した分、伸びをかいて4着だった。
 そして、まさかの重注を犯してしまった。重注を避けたつもりが重注を喫するとは皮肉な結果となった。ゴール前、私の進路変更により4番車の進路に進入した行為が重注の判定となった。
 あまりのショックにガーンときた。
 10.2はえらいことだ。事故点は付けまいとあれほど誓ってレースに臨んだのに、まさか…。
 さすがの鉄人もがっくりうなだれ茫然自失の状態だった。

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