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久留米普通競輪 第1日目 初日特選 2000年8月19日()

 人間、いくら強靱な精神力を持っていても苦い記憶だけは打ち消すことは出来ない。

 前回、久留米競輪に参加したのは、1999年10月6〜8日の開催で、この時の成績はA級特選から271着の成績だった。それから10カ月ぶりの参加だった。
 今回、福井から久留米までの交通手段は、小松空港(石川県・小松市)から福岡空港までジェット機に乗り、福岡空港からは地下鉄で博多駅まで、そして、そこから久留米駅まではJR、そこからタクシーを利用した。
 今節、北山剛選手(福井・58 期)と二人旅だったが、ジッとしていても汗ばむ蒸し暑いこの夏、「暑い暑い」を連発しながら雷雨で電車が遅れたこともあり、午後1時過ぎ、やっと久留米競輪場に到着した。
 遅れて来た私を待ってましたとばかり記者の方々が取り囲み、初日特選メンバーを知らせてくれた。立石拓也(久留米・72期)堺和之(久留米・70期)の地元二人には熊本の西島貢司(64期)、中四国勢は、田村英輝(徳島・78期)の先行に広島の三輪俊之(68期)、田中栄次(岡山・66期)が、そして小西誠也(三重・80期)には、S級から降級した一丸政貴(愛知・69期)、そして、どうやら私はその「中部勢の後ろで様子をうかがう」ことになるだろうと、コメントした。
 私は、前回富山から中4日の参戦で少々疲れ気味のうえ、鬱陶しい気候に心も晴れない状態だったから、前検業務が終了するとそそくさとベッドの中に潜り込んだ。

 初日も前検日同様、ハッキリしない天気だったが、今期2戦目の久留米で波に乗せないと、と思い気を引き締めることに終始した。
 三分戦の初日特選、一番人気は小西の先行に乗る [一丸 - 鷲田] の車券が売れていた。私はそのT人気通りUになることを願ってスタート台に向かった。
 号砲一発、第10レースのスタート合図が鳴った。いつものごとく誰も前に行かない。競輪競走とは、不思議なスポーツだ。世界中のあらゆるレースにおいて、スタート合図が鳴って誰も前に行かない競技など他に例を見ないであろう。競輪を最初に観た人がまず口にするのが、

  1. なぜスタートしないの?
  2. なぜゆっくり走っているの?

 これを初心者に説明すると大変長くなる。それだけ競輪は単純な競技ではない、ということになるのだが、号砲が鳴って、私も他の8選手に、なぜスタートしないの?と思った。
 前期S級の一丸が事故点を嫌って前に飛び出した。私もそれに続いた。小西は1番人気を背負う責任から後ろ攻めを考えていたに違いないが、その二人が前に付いたからには仕方がない。結局、小西 - 一丸 - 鷲田 - 立石 - 堺 - 西島 - 田村 - 三輪 - 田中の順で落ち着いた。小西は一時低迷が続いていたが、96点台まで回復し、前々回小倉では優勝している。どちらかいうと先行より捲りタイプだが、後ろは結束の堅い中部の先輩一丸だけに巻き返しは早いものと信じて付いていた。

 赤板が過ぎ、いよいよ田村ラインが来るだろうと後ろを振り返った。その田村、バックライン通過と同時に先手を取った。それに立石以下の九州ラインが切り換えてきた。小西は一瞬引きかけたが、すんなり立石に4番手をやっては分が悪いと思ったのだろう、インに突っ込んだ。するとその立石がインを閉めたから6番車小西と4番車の堺が併走状態になってしまった。万事休す。これではいけない。
 私は自分が信頼して付いたラインで、余程のことが無い限り切り換えることはしないタイプだが、この時の状態(併走の9番手)では切り換えていかざるを得なかった。
 小西がインに詰まった状態を確認するや、私は前に前にと踏み込んで行き、最終回1コーナー、3番車立石が前走する7番車との車間を少し空けていたから、私はここで踏むのを止め、中四国勢の4番手の位置にとどまった。
 これであとは4コーナー勝負と安心したのもつかの間、併走状態だった地元の堺が立石を捨て、私のインを突いてきた。堺は地元の気迫からその勢いのまま7番車の田中をすくい、3番手を確保。前併走の4番手の位置になった私は、そこから4コーナー勝負となった。勿論、狙いはインコースだった。
 だが、思うように車が伸びない。先行している8番車田村とその番手を回っている1番車三輪の中を割って入ったが、車が伸びない。普通なら綺麗な中割りで1着のタイミングだが、追い上げで脚を使ったのだろうか、それとも心の何処かでまだ富山の失格恐怖症が残っているのだろうか、車の伸びを感じないまま、5着でレースは終了した。
 おそるおそる中を割ったのでは、車が伸びないのも当然である。いつもの気迫がなかったように自分では思う。
 実は、ここ久留米で私は、1991年7月27日〜8月1日までの期間開催された第7回全日本選抜競輪の初日に落車し、鎖骨を骨折した苦い記憶があった。人間、いくら強靱な精神力を持っていても苦い記憶だけは打ち消すことは出来ない。それが心の片隅でいつもくすぶっていて、そうしたほんのちょっとした心の動揺がレースに影響してくるものだ。
 私は、久留米で起きた9年前の苦い記憶が知らず知らずにうちに影響していたのではないだろうかと、クールダウンのローラーの上で、自問自答していた。

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