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久留米普通競輪 第2日目 準優 2000年8月20日(
 

出走表は、結果を参照してください

 45歳の我が身、人はどう思うかは知らないが、自分の心の中では、少なくともあと5〜6年は上位で頑張れる自信がある。

 ここ最近3場所連続で優勝戦を外している私は、今度こそ決勝に乗らなければならない、いや優勝しないと、という思いで久留米に参加した。今年2000年2月岐阜52の優勝を皮切りに名古屋、奈良、松阪、和歌山、福井、四日市、名古屋まで、8場所連続で優勝戦に進出している私は、もはや優勝戦に名が載るのは当然とばかり思っていた。だが、7月岸和田から向日町、富山と、ここにきて息切れ状態か、展開の不利か、3場所優勝戦から遠ざかると、さすがに不安になってきた。
 その不安というのは、決して自分に力量的にT限界が来たという不安Uではなく、今回も優勝戦に乗れないのではないだろうかというT心配から生ずる不安Uだった。物事には、ずっと永遠に右肩上がりに成長していくということはなく、必ず「盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」(平家物語参照)時期が訪れるものである。
 ただそれがいつの日かは予測が付かないのだが、45歳の我が身、人はどう思うかは知らないが、自分の心の中では、少なくともあと5〜6年は上位で頑張れる自信がある。それだけに、この準優だけは絶対クリアして歯止めをしておかないと、という思いが強かった。
 準優のメンバーは、恐らく小西誠也だろうと思っていた。その予想通り、小西と一緒のレースだったが、予選から勝ち上がった大阪の吉川浩士(80期・25歳)もいて、同じ近畿の吉川に目標を絞るか、迷わず特選の小西に付けるか、と迷うところだった。
 他の選手のコメントを聞くと、地元の堺和之とマーク屋に転職中の岡山の岡田浩太は、小西の後位を主張しているということだった。私はそれなら「父も母も九州出身で親戚も多く、先行して見せ場だけは作りたい」と力強く宣言する吉川に付けることにした。
 小西の後位が競りの状態で、吉川が思いっきり先行してくれれば、小西の鋭い捲りに付いていけず後続は千切れることも予想され、万一、小西に捲られても富山の最終日みたいに番手に飛び付いて小西に切り換えればいい。私は、その作戦で闘うことに決めた。
 準優第8レースがゴールして、私の出番となる第9レースの選手紹介前になって、急に雨が降り出して来た。豪雨だった。急いで係員が雨合羽を準備した。私はこの雨を歓迎した。後ろ攻めで吉川が先行態勢に入ってくれればこの雨なら捲りも利きにくい。私は、「雨、雨、降れ、振れもっと降れ〜」と、八代亜紀のフレーズを思い出していた。
 スタートは兵庫の浜上一幸が付いた。内心(何やってんだ)と思った。近畿勢は、吉川浩士 - 鷲田 - 浜上なのに、浜上は前を取ってしまった。ほっとくしかない。並びは前から浜上 - 岡正人 - 小西で、その後ろインに岡田浩太、アウトに堺和之、そして、国武耕二 - 古関典昭 - 吉川 - 鷲田で続いた。
 浜上が下がれないでいるから、吉川と二人ではどうも展開が悪い。小西がインを切って我々の3番手になったら面倒だ。でもその後ろが競りなら何とかなるだろう。周回中、私は浜上が前に付いてしまった誤算を何とか解消できる策はないかと考えて走っていた。
 雨は依然として降り続いていた。赤板を過ぎて、2コーナー前から吉川が上昇を開始した。兎に角、二人だから小西の動きを良く見定め、遅めの仕掛けが必要だった。岡田浩太が堺和之と競っている以上、先行2車だった。吉川- 鷲田の上昇に乗って誰か切り換えてくれないかと思ったが、九州勢は堺を筆頭に国武耕二 - 古関典昭の結束は堅かった。
 最終回、吉川浩士の逃げに鷲田が続き、後ろを振り返ると、なんとすんなり3番手には小西が入っているではないか。小西が2コーナーから捲ってくるのは火を見るより明らかだった。
 私は、こういう展開になることが最近非常に多かった。捲り選手が自分のすぐ後ろに居るというのは、ほんとにやりにくいものだ。いつ来るか分からないし、ブロックしようにも素通りされてしまう。私は、いつやってくるとも知れない小西の仕掛けを警戒しながら、何度も後ろを振り返っていた。 
 そして、それは、2コーナー立ち直ったところですぐにやって来た。すんなり3番手を確保した小西にしてみれば、格下の吉川の先行など脅威ではなかったハズ。中部1車の気楽な展開に、思いっきり仕掛けてきた。
 私は、予定通り、小西のうしろに照準を合わせた。でも、小西の後ろにはぴったりと地元の堺が続いていた。後でビデオを視たら堺と岡田との競りは簡単に終わったようだ。(そんな、小西の後ろは少し千切れて来ると思ったのに…)
 私の考えが甘かったのか、堺が地元の気迫が勝(まさ)ったのか、そんなことどうでもいいが、私は最終3コーナー、遅れながら堺の横に飛びついた。前を走る8番車吉川と、外の2番車堺の中に割って入った。危なかった。どちらか一方が寄ってきたら落車していたかもしれなかった。
 でも何とか車を立て直して、4コーナー勝負に持ち込んだ。

 だが、きのう同様、車が出ない。クッソー。歯を食いしばった。このまま粘って行けば何とか3着には。
 しかし、ゴールした瞬間、4着だと分かった。(あ〜、またしても4着)

 私は、展開に恵まれないこと以上に力不足もあることを認めざるを得なかった。

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