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不完全燃焼のままで終わってしまった今日のレースを、明日の準優戦でぶつけようと心に誓っていた。
大垣には2000年6月25〜27日(成績626)以来3ヶ月振りの参加だった。大垣競輪場は、福井からは一番近い距離にあり、私にとっては相性に良いバンクだ。
一緒に参加した福井の選手は、松山勝久(73期・25歳)と柳田克己(30期・49歳)さんの3人だった。
福井から大垣競輪場まで北陸道と名神を利用して2時間弱(約140H)だから慌てることはない。前検日朝は9時半頃自宅をゆっくりと松山の車に同乗して出発した。
前回の久留米から比べれば楽な参加で、おまけにここ(大垣)は3号賞金だから私に限らず参加選手もやる気十分だ。
この競輪場毎の賞金基準というのをちょっと説明しておくと、1開催(6日間)平均車券売上高(平成11年1月〜12月)で20億円未満が1号基準(26競輪場)・20~30億円が2号基準(15競輪場)・30~40億円が3号基準(3競輪場)そして40億円以上が4号基準(6競輪場)となっている。
昨今の売上低迷による号基準の低下競輪場も数多く、1日10億円以上の車券売上があった川崎などは今では2号基準に甘んじる始末。その他、大宮、京王閣、松戸、花月園、平塚など関東圏の有力競輪場も2号基準となった。もはや特別競輪等の開催をした競輪場しか、3号基準を超えるのが難しい現状となった。
大垣は昨年、全日本選抜競輪を開催していることもあって、本年度は3号基準となっている。そして号基準の良い競輪場は出場選手の顔ぶれも良い。
地元中部勢は鳥越靖弘に一丸政貴と竹内久人、西は上野崇雄に和田昼善と藤原克成、そして近畿は松山勝久に鷲田善一と桜井邦彦、といずれもS級経験のある豪華メンバーだった。
松山とはなぜかしら今回まで一緒の参加がなく「松山おメェ、俺を避けてるな」と、いつも冗談を言って笑っていたのだが、ついに一緒の斡旋がきて、私の金メダル獲得も十分に考えられた。
ただ心配なことがあった。松山は練習では抜群の強さを誇っており、軽く10秒台(200E上がりタイム)を連発し、福井では市田佳寿浩と肩を並べる、いやそれ以上のトレーニングチャンピオンだということだ。ハンマー投げの室伏広治にも似た精悍な顔立ち、ウエートトレーニングで鍛え上げられた肉体美は、それを観ただけうっとりする。いや違う恐れおののく。(こいつの身体は凄い!)と。 私は常々、松山の練習を観ているだけに果たしてこの脅威のダッシュに付いて行くことが出来るだろうか、とそれを心配していた。
3分戦となる初日特選は牽制スタートで始まり、8番車の藤原が前に飛び出しても牽制が続いた。藤原との差はみるみる離れ競技規則11条(過度牽制)の適用は避けようになかった。いやいや鳥越が前を追い、並びは鳥越
- 一丸 - 竹内 - 上野 - 和田 - 藤原 - 松山 - 鷲田 -
桜井で落ち着いた。
7番手からの押さえ先行になる松山
- 鷲田 -
桜井ラインの先手は、誰もが疑わなかったと思ったが、ジャン前の2コーナー付近で松山は前に出ることをなぜか躊躇してしまったのだ。それを見た上野
- 和田 -
藤原ラインが一気にスパート。松山は慌てて4番手を獲りにいったが、鳥越
と併走になった。
ジャン4コーナー、私は松山が引いてくるものと、その強引な突っ込みには付いていかなかったが、松山は1番車の和田をこじ開けてそのまま先行態勢に入ってしまった。
(オイオイ、どうなっているの?)
外併走の最悪の状態になってしまった私は、最終2コーナーでは9番手の位置。それも先行3人が先頭に並んでしまったこの展開では、成す術もなかった。
松山を責めても仕方がない。付いて行かなかった私が悪いのだ。
(こんな時もあるさ)
私は不完全燃焼のままで終わってしまった今日のレースを、明日の準優戦でぶつけようと心に誓っていた。
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