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義理や人情も時にはかなぐり捨てて、勝ちにこだわらなければ生きては行けない。それが修羅場で生き残る者の宿命である さて、2日目の準優戦を迎えた。 岸和田、向日町、富山、久留米と、このところ4場所連続で優勝戦進出を逃している私は、この大垣でその流れを絶対阻止しないとこのまま終わってしまうのではないか、という悲壮感を覚えながら臨んだ。 第9レースに出走した松山は、力の違いを見せ付けて1着で明日の優勝戦に進出。それを目の当たりに観た私も優勝戦進出を懸けて、いや「優勝」を懸けてこの準優戦に全神経を注いでいた。 メンバーは、初日選抜を1着で勝ち上がった橋本大祐(岐阜・80期)に竹内久人(岐阜・37期)と近藤光永(愛知・54期)の地元中部勢、平田義敬(大阪・74期) - 鷲田 - 中畑利英(和歌山・67期)の近畿勢、そして、白井孝典(徳島・78期)、藤原克成(岡山・60期)、奥田稔彦(広島・49期)の3人は流動的な位置獲りだった。 そして迎えた準優戦第10レース。予想通り、またしても牽制スタートだった。 初日特選同様、藤原克成がスタコラサッサと前に行った。後の者は尚も牽制状態だったが、耐えきれず平田義敬が追いかけて行った。 私は、この準優の作戦を二通り考えていた。一つは、地元勢が前受けなら平田の押さえ先行で勝負。もう一つ、平田が前受けになった場合は、橋本 - 竹内の後位3番手に切り換える作戦だった。しかし、その平田が先頭に立って誘導員を追いかけ体力を消耗しているようでは、後者の作戦を実行せざるを得なかった。 赤板を過ぎ、予定通り、橋本
- 竹内 -
近藤が上昇してきた。その後位は白井と奥田が併走。私は、車を外に持ち出し、橋本がダッシュしたらいつでも飛び付けるように構えていた。平田も下げる気配がない。突っ張るようだった。 あと1周の4コーナー、満を持して橋本がスパートした。それに合わせて私は6番車を競り落とし3番手を確保。平田には悪いが連結はここまで。 自分の主張を正当化した私は3番手の位置を確保し、最終4コーナーから直線猛然と追い込んだ。 結果は4分の1車輪差の2着で、5場所ぶりに決勝戦に進出した。嬉しかった。 レース後、地元岐阜放送の番組収録があり、私は、「相性の良い大垣競輪場で優勝したい」とコメントした。 |
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