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甲子園普通競輪 第1日目 初日特選 2000年9月27日(木)

 「 越前・鷲田ご老公と悪代官・妹尾(せのお)捕物帳絵巻 」

 

 なぜか近畿地区の斡旋が少ない中、甲子園には1997年9月前節以来、3年ぶりの参加だった。その時は、私が長年守ってきたS級から降級してA級4戦目の開催だったが、初日特選3着通過もゴール後落車して自転車破損のため帰郷した苦い思い出があった。

 この甲子園、大垣から中6日あったのだが、その3日前に扁桃腺を腫らして病院で点滴を受け、2日間外出せず治療に専念しての参加だった。前検日の前日(2000.9.25)、いくらなんでも少し練習しないと、と気合いを入れ、弟子の濱野雅樹といつもの練習コースの越前海岸(65km)を走って調整した。

 季節の変わり目で寒暖の差があり風邪を引いてしまったのだった。ふるさとダービー福井の疲れも出てきたのだろうか。体力には自信があるとはいうものの、やはり忙しさのちょっとした気の緩みからシンどい思いをしなければならなかった。だが、10月は1ヶ月間のペナルティー休暇があるだけに、生活のため家族のため休んではいられない。最近の多忙ぶりに「もし俺が死んだら後の事は頼むな」と、家内に弱音を吐いても取り合ってもらえず出兵しなければならないこの身の辛さ。

 「知らない人が聞いたらホントかと思うから冗談よしてよ、頑張ってきてネ!」と、笑って送り出されてしまった。

 前検日の身体検査。身体検査表に記入事項を書き入れた。{ 身体がだるい } に○印を付けた。担当医には、風邪のことを報告。「3日間大丈夫ですか?」の問いに「大丈夫です」と答えた。

 初日特選。大垣でも一緒だった鳥越靖弘(愛知・77期)には同じ愛知の荒木勝成(63期)、前期S級の野口悦宏(熊本・52期)には湊崎裕次(福岡・67期)、南 大輔(京都・76期)には鷲田善一、近藤益徳(大阪・57期)の近畿勢、そして、三輪俊之(広島・68期)、妹尾英信(岡山・67期)がいた。

 いずれ劣らぬ好メンバーだった。それに甲子園は最上級の4号賞金競輪場だ。ゼニの為なら風邪を引いたぐらいで弱気になっていられない。「気力だ気力!」と自分に言い聞かせていた。

 スタート後、鳥越 - 荒木 - 野口 - 湊崎 - 妹尾 - 南 - 鷲田 - 近藤 - 三輪の並びで落ち着いた。
 このまま南が押さえて先行してくれれば、後は鳥越か野口の捲りをブロックすればいいだけのことだった。すべては南の駆かり具合にかかっていると思っていた。

 鳥越も野口も捲りタイプだから、南も慌てて駆ける必要もなかったが、赤板を過ぎ、そろそろ南が上昇を開始しようとケツを上げ出した時、南の前を走っていた妹尾がそれに合わせて上昇していった。
(おや?何をするのだろう?)と思ったが、どうせインを斬って近畿の後ろにでも飛びつくのだろうと思っていた。それがまさかのまさか、ジャンと同時に私の横でイン粘りをするとは思わなかった。

 なんと大それた事をする!恐れを知らぬこの不埒者めが。ここにおわすは誰あろう水戸の、じゃない越前の鷲田ご老公なるぞ!ひかえおろー!

と、ここまでくればたいがいの者はおののき後ろに3歩あとずさりして、(ハハーッ)と深々と額を地面にコスり付けるところだが、妹尾というこの選手、そのことがどうも分かっていないようだった。こういう選手がいるから時々困る。

 印籠を見せてもダメなら、仕方がない、実力行使に出るしか手はない。やおらご老公真剣を抜くと、最終回1センターで悪代官・妹尾を放り込みにいった。それでもなおこの悪代官はご老公に抵抗してきた。私はもう一発喰らわそうと思った瞬間、最終2コーナー出口で反対に放り出されてしまった。

Out! Oh my God!

 ご老公の印籠も真剣も通用しなかった。助さん、角さんは一体何をしていたんだろう。その助さん(近藤)私が競り負けたらインからちゃっかり切り換えているではないか。なんと素速い。ご老公は、失速して宙に浮いた状態のまま、取り残されてしまった。

 競り負けしたのは久しぶりだった。たまにはこういう競りも無いと剣も錆びてしまう。

 私は、大垣の初日(2000.9.17)同様、負けたことで明日の準優戦にまた火が点いたような気がした。

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