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甲子園普通競輪 第2日目 準優 2000年9月28日(

 お前の後ろには45歳と46歳の合計91歳の最強コンビが付いている。だからガンバレ!

 準優戦は、3個レースの中で一番激戦区のなかに組み込まれた。ただ救いは同県の大和田学(福井・65期)がいることだった。大和田は本年度(2000年4月〜9月)4回の優勝を数えていて今期は事故点の影響もあってA級2班に甘んじているとはいうものの、優勝候補の一角にはいつも顔を覗かせている。ただ大和田とはS級時代から相性は今一つの感で、今日のここは何としても両者決勝に臨みたいところで気合い十分だった。

 今開催の最有力優勝候補の青井賢治(徳島・81期)は初日選抜でインに詰まって6着だったが、連帯率78%の快進撃を続けている新鋭だ。また、このところ調子を落としているとはいうものの鳥越靖弘も一発の捲り狙いに虎視眈々。同じ愛知の左京源皇(72期)が付けて不気味な存在だった。

 このレースも牽制が予想されたが、またしても、競技規則第11条(過度牽制・重注9点マイナス)が適用されることとなってしまった。スタート直後、誘導員と選手との差が4分の1周開くとこの条文が適用される。また、前走車との間隔が10車身開いても同じく重注となる。このところやけにこの適用が自分レースに限って多いような気がする。
 ホントに嫌になる。今の競輪競走の形態上、後ろ責めが絶対有利なだけにスタート牽制がなくなることはないが、スッキリとしたスタート方法がないものかと思案する。

 4番車の長谷が業を煮やして誘導員を追いかけた。誘導員は遙か向こうバックストレッチライン付近まで到達しそうな距離まで行っていた。前回の大垣準優戦でも大阪の平田義敬が誘導員を追って体力を消耗したように、長谷もまた誘導員に追いついた時点(残り3周)ではもう一杯の状態だったに違いなかった。

 400走路の場合、号砲が鳴って1周65秒以上かかると、その選手の着順賞金が半額となってしまうが、最後尾を追走した大和田のタイムは62秒5だったそうだ。危うく難を逃れたが、追走義務違反など厳しい措置が取られている現状、目先のことばかり捕らわれているといつか大変な事態を招いてしまうことになる。気を付けないと。

 長谷 - 川添 - 鳥越 - 左京 - 青井 - 三輪 - 大和田 - 鷲田 - 服部で赤板を迎えた。大和田学は慌てることなくじっくり前の様子をうかがっていた。ジャンが鳴って長谷が誘導員から離れスローダウンした。隊列は重なってスローペースとなった。そこをタイミング良く大和田が外から押さえて先行策に出た。私の後ろは信頼のおける同期(33期)の服部良一だ。

 走る前、大和田には「お前の後ろには45歳と46歳の合計91歳の最強コンビが付いている。今後、このような年令のマーク屋がお前の後ろに付くことは、10年に一度あるかないかだ。だからガンバレ!」と何とも意味不明な励ましでその気にさせていた。

 だからどうのということはなかったが、大和田は絶妙のテクニックでうまく青井と鳥越を併走させ、先行した。こうなれば後は私の出番だ。最終1センターで誰かが捲ってくる気配を感じた(たぶん青井に違いない)から、一発、二発、と張った。それでも尚、青井は大和田に襲いかかってきた。最終バック、逃げる大和田とそれを捲る青井の激しいモガキ合いは、観る者をして手に汗握る白熱した闘いだったに違いない。

 最終回3コーナー、大和田がこらえて青井の捲りを併せたが、まだ分からなかった。私は外併走の3番車三輪を一発押し上げ、自分の走路を確保して最終4コーナーに突入した。

 青井が少し下がってきた。私は青井の肩に当たって中割りをしようと思った瞬間、
 ガシャーン 

という音が聞こえた。まずい!一瞬、その音に まさか? と思ったが、そのまま青井をこじ開けて2着でゴールした。

 赤旗が揚がった。

 内心(俺ではない。大丈夫)と思った。

 最終4コーナー手前で確かに3番車の三輪を一発張ったが、それからふた呼吸ほど時間差があったからだ。しかし、判定はどうだろうか? 嫌な時間が過ぎた。しかし、意外に早く結果が出た。

 テレビに映し出された電光掲示板には、1着[7番]のあと 2着…[1番]の数字が映った。 (あーあ、良かった)

 福井勢のワンツーフィニッシュで終えた準優。
 レース後、その壮絶な戦いのVTRを確認した大和田と私は、明日の決勝戦の健闘を誓い合っていた。 

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