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【教訓・その1】 一瞬のためらいが勝敗を大きく左右する。 松阪の開催(2000年11月1〜3日)が終わって中4日で大垣(2000年11月9〜11日)を迎える間、特に用事もなかったので久しぶりに練習に集中することができた。 大垣には今年(2000年)三回目の参加だった。6月25〜27日開催、9月17〜19日開催に続き今回の11月9〜11日開催だった。大垣は今年4月から3号賞金だから大歓迎の競輪場だ。別に北の競輪場だろうが南の競輪場だろうが斡旋のあるところ喜んで参加するが、やはりどうせなら賞金の高い競輪場がいいのが本音だ。しかも大垣は福井から一番近い距離にあり「近くて賞金の高い競輪場」なのだ。松阪から中4日とはいえ、私は練習で約260キロ乗り込んでの参加で気合いも入っていた。 期も終わりに近づくと各選手とも事故点が気になり出し、スタートは事故点の多い選手がこらえ切れず前に付くことが多いようだが、号砲が鳴って本命島田が前に出ると平田が続き、私もその後を追った。 赤板を過ぎ、1センター付近から6番車の西が踏み上げてきた。西は8番車の片山を牽制していたが、そうこうしているうちに松尾が満を持して一気に仕掛けて行った。前に付いていた島田は松尾 - 兼子の後ろにズッポリはまる展開となってしまい、ジャンと同時に我々は後続におかれてしまった。あと一周の4コーナーで片山は西をインからすくうも、すでに時遅し。松尾は快調なペースで先行態勢に入っていて、島田は絶好の3番手。 最終2コーナー、逃げる松尾 - 兼子の地元コンビを島田が定石通り捲くりに出て、平田 - 北田で追走。その後を片山 - 鷲田で追う展開だった。 そして、最終4コーナー、ここで私は迷った。普通なら8番車片山のインを突いて、9番車兼子の進路に入るところだが、事故点がちらついてしまった。無理はよそう。一瞬のためらいが勝敗を大きく左右するものだが、今の私の状況を考えると(ここは無理して突っ込むことはない)と思った。 練習を積んできただけに納得のいかない着に腹が立った。自分に腹が立った。きょうの展開なら仕方が無いと思いつつも「納得のいかない着」はやはり悔しかった。 |
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