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大垣普通競輪 第2日目 準優 2000年11月10日(

【教訓・その2】 勝負に妥協は禁物だ。

 準優のメンバーを見てハタと困った。先行選手は地元の松尾に、前回松阪でも一緒に走った福岡の瓦田勝也(77期・26歳)、それに予選2着で勝ち上がった京都の藪謙治(83期・22歳)だった。

 出走表の競走得点は松尾が97.54、瓦田が92.37、そして藪は85.01だった。松尾には同県の平田仁(62期・32歳)がグリーン車特急指定席券で乗車し、瓦田には九州熊本の藤岡一也(49期・38歳)が普通車特急指定席券で乗車し、藪には当然のことながら私が普通車普通指定席券(大変失礼)で乗車できる具合となっていた。
 あいにく指定券を持ち合わせていない清木聖司(山口)は藤岡後位の3番手、そして一番困ったのが岡山の平田直樹(61期・32歳)- 森下忠夫(高知)が、岐阜2両編成の特急グリーン車に連結するというのだ。だから私はハタと困ったのだった。

 「準優駅」から「決勝駅」に行くには、やはり特急電車に乗車するのが一番速いだろう。だが、そこには切符を持ち合わせてない飛び乗り乗客も居て、睨みを効かせている。私のような気の弱い乗客は黙って普通車(たびたび失礼)に乗らなければならないのでしょうか。いや、そんなことは絶対許せない。誰だってグリーン車に乗車する権利はある。ただおカネ(度胸)が掛かるだけのこと。私は持っていた普通指定券(ホント失礼)を捨てて、思い切ってグリーン車(松尾)に乗車することを決意した。

 前日のコメントで、私は「岐阜コンビの後ろに付ける」と主張すると、平田直樹も「競りでも仕方がない」と強気のコメント。当然であった。平田直樹からすれば、私には藪がいるのだから、そっちにいけばいいだろう、と思うのは至極当然のことだった。

 先行選手の力量はどうであれ、兎に角マーク屋にとって指定券を持っていれば結構毛だらけ猫灰だらけ。指定券がありながら指定券を持ち合わせていない乗客に競り込むなど、マナー違反も甚だしいのである。しかし、この「福井の老いぼれ」はダテや酔狂でこの26年間マーク屋でメシを食ってはいない。勝負に妥協は禁物だということを嫌というほどを知っている。だから、ここは非情にならなければならないと考えていた。

 私は、ウオーミングアップを完了し控え室に戻ってくると、藪にこう言った。

 「藪、悪いけど、俺、今日は別線で勝負するから」

 こう切り出す私も辛い立場だ。縁あって一緒に乗り合わせたとはいえ、一方的に別れ話を切り出すのは何とも辛く酷な話である。藪は私の別れ話に素直に頷いた。藪はまた京都の芸子さんみたいに綺麗な顔立ちであった。これが競輪でなく、男女の付き合いだったら「お前とは一生別れないからな」と歯の浮いた台詞を言うところだが競輪ではそうもいかない。
 すでに昨日の時点で藪は「単騎で闘う」とコメントしていたが、離別を告げられた女のいじらしさにも似て(最もそういう女性は今時いない)が何ともかわいそうだった。でも一応そう言って断っておく必要はある。そこのところの礼は欠かしてはならない。
 
修羅場に行くまでは、人間界の義理人情に左右されるのである。またそれに左右されない強い意志が競輪選手には必要である。

 号砲一発、準優第10レースがスタートした。一周を回ったところで、松尾 - 平田仁 - 平田直樹 - 鷲田 - 藪 - 森下 - 瓦田 - 藤岡 - 清木となった。
 森下はコメントで平田直樹の後ろを主張していたが、私と平田直樹が岐阜コンビ後位を互いに主張していることから、別線を考えたのか顔見せでは平田直樹の後位には行かなかった。本番でも藪の後位に付け様子をうかがっていた他は、私の思う並びになっていた。これは私にとっては好都合だった。
 私は、本番を迎えるまでにはすでに3番手の平田直樹と競るよりは松尾に直(ジカ)に追い上げる作戦だったから少しでも松尾に近い位置が欲しかったからである。インからしゃくって行くか、それともアウトから追いあげるかはその時の状況判断だけだった。

 周回中、私は4番手を回っていたが、瓦田の上昇をみていつ松尾の番手に追い上げるかその時をジッと待っていた。昨日納得がいかなかった分まで、今日は気合いを入れて臨んでいた。

 赤板を通過して1センター付近から7番車瓦田がゆっくりと上昇してきた。それに併せて4番車の森下が上昇を開始。私は、瓦田が鼻に立ったことを確認して松尾の後位に追い上げる準備をした。その時、4番車の森下が不可解な動きをした。6番車の藪に続く訳でもなく、松尾後位を狙う訳でもなく、結局、松尾を牽制する気だったのだろうか。その森下が邪魔になって私は松尾の後位に直接追い上げることが出来なくなっていた。
 とその時、松尾がサッとインコースを突いた。松尾は一旦外に引き、巻き返すものと思っていただけに意表を突かれた感じだったが、私も咄嗟に反応して1番車の平田仁の後を追った。平田仁の後ろに居た平田直樹はその動きに一瞬立ち後れ、結局、私は岐阜コンビの3番手にはまってしまった。

 最終4コーナー、私は前走との車間を空け一気に抜き去ろうとしたが、松尾が強烈な踏み直しをして逃げ切ってしまった。

 厳しい準優戦だったが、妥協せず、「決勝駅」までの「確実な作戦を実行した」ことが勝敗につながったのだと思った。今日の準優戦、自分にとっては本当に値打ちのある3着だった。

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