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福井普通競輪 第1日目 初日特選 2000年11月18日()

 勝ちにこだわらなくても好結果を生み出すこともある

 8月(富山、久留米)9月(大垣、甲子園)11月(松阪、大垣)と走り終えた今期(2000年中期)も残すところ地元の福井だけとなった。今期も振り返れば富山の最終日に危うく失格の難を逃れたものの、その後9月の甲子園終了時点で54点(重注4回=4×9=36点・走注6回=3×6=18点)の事故点を積み重ね、10月のあっせんしない措置で一月間競走から離れ た後、11月は松阪、大垣と無事故で開催を終え最終の地元戦に臨むこととなった。

 2000年8月1日から従来の事故点制度に代わる落車防止の担保策として、いわゆる内部制裁が適用されることとなった。つまり平均競走得点から差し引かれていた事故点(失格3点・重注1点・走注0.3点)は失格(3点)のみとし、重注と走注はその違反行為によって新事故点が設けられ、それが一期間60点を超えると特別訓練を受けなければならないということになったのだ。
 この場合、次々期に京都の黄檗山(おおばくさん)という寺で4泊5日の座禅修行をしなければならない。それが90点を超えた場合は5泊6日となり、また一回の失格でも審査によっては一ヶ月間のあっせんしない措置が適用され、制度が変わったからといって決して楽になった訳ではない。
 私はその黄檗山の禅寺にはまだ行ったことはないが、行った者(受刑者)の話によると、それはそれは身の毛もよだつ恐ろしい所だそうである。まずは朝な夕なに一時間から二時間の座禅修行から始まり、お坊様の警策(きょうさく)は一人あたり十数発を数え、出された精進料理(麦飯、菜っぱ、汁)は残さず平らげ、お櫃(ひつ)に一粒の米とて残してはならず、最後に食器はお茶と沢庵で綺麗に洗い、それを飲み干し、食器は洗わず風呂敷に包んで食事を終えること誠に不衛生ながら全体責任としての戒律は厳しい。
 また冬は一年を通じて最も厳しく煎餅布団一枚で寒さに耐えきれず凍え死した選手もいたそうで(笑、冗談)、選手の誰もが「金輪際二度と足を踏み入れたくない所」だそうである。

 そんな話を聴いたらいくら強健な私とて身震いとともに尻込みせざるを得ない。第一若い選手ならいざ知らず、この歳(2001年元旦で46歳)になってそういう場所に行くのは対面悪く誠に格好が悪い。ましてや「支部長いい加減にして下さい」と非難を浴びること間違い無し。そんな状況にならないとも限らない私は、地元戦を迎えるにあたってこんなにも憂鬱だったことはついぞなかった。(あーあ、期の最終戦に地元の福井とは…トホホ)私は当然あるだろう地元の声援に無事故主義を通すか、それともいつもの闘いを貫くか判断に迷っていた。

 初日特選は、前回大垣で力強い逃げで観衆を沸かせた松尾淳(岐阜・77期)のラインと近時着実に力を付けてきた田村淳史(静岡・79期)のラインが人気を背負っていた。 近畿は梶原秀庸(大阪・77期)が追加で来たが、松尾、田村の機動力を相手に太刀打ち出来そうな実績はなく、苦戦は免れない状況だった。こういう状況下、私は地元戦とはいえ人気薄だったから、いつになく緊張することもなく兎に角事故点を付けずに無難に走ろうと決めていた。

 スタートは9番車の前田知機が出て松尾が追い、私もそれに続いた。一周を回ったところで早くも並びは前から松尾 - 古屋 - 網谷 - 鷲田 - 梶原 - 前田 - 田村 - 吉田 - 小野で落ち着いた。私は梶原とは別線勝負に出た。先手ラインの4番手に切り換え直線勝負に持ち込む作戦は、気楽に走れるうえ事故点を付けることもなく、最終4コーナーのコース次第ではチャンスも十分にあると考えたからだ。

 赤板を過ぎ、ジャン前の2コーナーから田村 - 吉田 - 小野が仕掛けてきた。誘導員の早期追い越し(バック線までに誘導員を追い越す違反)は重注(5点)だが、スタート牽制や競走妨害の重注(9点)と違って事故点も比較的少な目だから、先手を取りたい先行選手はこの違反をよく付ける。田村も松尾の突っ張り先行を警戒して走早めに仕掛けてきた。

 私はその4番手に切り換える作戦だったが、それより早く4番車の梶原が踏み込んできたので、あと一周のホームでは 田村 - 吉田 - 小野 - 梶原 - 前田の後位6番手になってしまい、最終2コーナーでは最後尾の最悪の展開になってしまった。こうなっては勝ち目は薄かったが、脚は軽かった。

 結局、松尾は吉田の好ブロックに遭い捲り不発に終わったが、松尾の後ろを回っていた古屋 - 網谷が外にへばりついて頑張ったお陰で、その後位に切り換えた私は最終4コーナー、直線中割りで2着に入った。

 気楽に走れたのが良かったのかもしれない。何も勇んで勝ちにこだわらなくても好結果を生み出すこともあるのだとこの時思った。無違反で勝つ「極意」が、果たして競輪競走では可能なことなのか、それがあるとしたらいままでのスタイルを考え直さなければならないと思うのだった。

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