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福井普通競輪 第2日目 準優 2000年11月19日(

 選手の読みとファンの読みが一致したとき当たり車券が転がりこんで来る

 準優戦のメンバーは、中村文彦(福井・74期)との組み合わせが予想されたがその通りになった。
 中村は今期(2000年8~11月)A級2班だが、前期(2000年4~7月)はS級3班に在籍しており、来期(2000年12~2001年3月)からはまたS級3班に復帰する。しかし、前期(2000年4~7月)期間中の5月平塚記念で鎖骨々折をして快復に時間がかかり、いまだ彼本来の調子に戻ってはいなかった。この福井開催の前々回松阪でも初日選抜まさかの7着敗退で、私は準優中村と一緒に組み込まれる思惑が外れ、がっくりきたことは記憶に新しい。その後、中村は奈良229着で決勝に進出し、この福井開催初日選抜も3着で準優に進出したきたが、末脚がもう一つである点が気がかりだった。

 しかし、中村と一緒に組み込まれたことは私にとっては願ってもないチャンスで関東勢の小野 - 吉田 - 上原ラインに対して勝算は十分にあった。ただ決勝に中村が乗ってくれないと厳しいメンバー構成が予想されるだけに、中村には是が非でも3着には残って欲しく、事故点を最小限(走注3点)に押さえて小野の捲りを封じる手だてを考えていた。

 中村 - 鷲田 - 山本の近畿ライン、小野 - 吉田 - 上原の関東ラインに対して、波能 - 星野 - 樋口の中部ラインは中団狙いになるだろうから実質二分線の闘いだった。事故点の事を考えると私の出来る「仕事」は走注3点まで(ここまで54点)で、スタート牽制(9点)はできない。最近、期末はいつも事故点の計算ばかりで気が滅入ってしまうが、これも自分が犯してきたことだから仕方がない。何とか誤魔化し誤魔化しでも結果は残さなくてはならないプレッシャーがのしかかってきた。そして、自分の事故点リミットがスタートで影響しなければいいが…と、祈るような気持ちで発走台に向かった。

 小野にしても自分が前に付けば波能以下に切り換えられ7番手になることぐらいは考えているだろうし、そうなったら私は事故点を付けられないから前に出なければならないと思っていた。しかし、号砲が鳴って2秒ぐらいの牽制があったが、あっさりと小野が前に行った。(良かった…祈りが通じたのだろうか?)私はそう思った。小野の心中は分からないが、(どうせ地元の福井勢は死んでも前には付かないだろう)と考えていたのだろうか。そういう選手の思惑と駆け引きを読むことが競輪の醍醐味の一つであろう。選手の読みとファンの読みが一致したとき当たり車券が転がりこんで来るのかもしれない。

 スタートして二周を回ってところで隊列は前から小野 - 吉田 - 上原 - 波能 - 星野 - 樋口 - 中村 - 鷲田 - 山本で落ち着いた。小野はS級で活躍していた実力者で、私も過去何度か一緒に顔を合わせたことがあり、その走り方は知っている。どちらかといえば先行より捲りが強い印象だったが、最近は大きい数字が目立っていて、知る限り以前の破壊力は陰をひそめているような気がしていた。(この展開なら中村が好位から発進すればの二人とも残れる)と周回中思った。
 出来るだけ脚を使わず中村は、残り2周を示す赤板表示のホーム線から踏み上げて行った。私は波能がどうするかと前を見た。その波能も中村の上昇に併せて前に踏み込んでいったが、まだインを斬るのは(事故点を付けるから)早すぎると思ったのか、中バンクで一服の状態だった。中村は波能が中途半端にインを斬らないでいることに満を持して2コーナーから仕掛けていった。的確な判断だと思った。
 これと似た状況が9月の大垣初日特選(2000年9月17日)であった。松山勝久が一瞬出渋っているうちに、前に出た上野崇雄が突っ張って先行してしまったのだ。勝負所でタイミングを外すと後に大きく影響する。そして勝敗はこのタイミングの取り方にある。中村は的確な状況判断で小野を交わし前に出た。しかし、小野を交わして前に出たと思った中村だったが、小野の前輪がまだ中村の後輪にかかったままで小野は完全に下がっていなかったのだった。中村のインから小野がすくいにきたから中村はさらに尻を上げて前に踏み込んでいった。この無駄足を使ったことが中村にとって最終4コーナーからの粘りを欠く原因になってしまったのだった。

 あと一周の4コーナーで小野は一旦私の後ろに入ったが、インから星野 - 樋口にすくわれ、最終バックストレッチでは中村の先行以下、鷲田 - 星野 - 樋口 - 山本 - 波能と続き、結局、小野 - 吉田 - 上原は後方となった。

 私はバックから再三後ろを振り返って小野の位置を確認した。最終3コーナー、小野の黒いユニフォームがかすかに見えた。一回、二回、三回と振り返り、小野の捲りのスピードと中村のスピード、そしてゴールまでの射程距離に合わせて私が何処から仕掛けていけばいいのか、難しい判断だった。中村を明日の決勝の為に残さなくてはならないし、小野の捲りは振り返るたびにその距離をグングンと縮めてきた。

 最終4コーナー、私はここが限界とばかり中村を交わして行った。
 中村を交わす勢いが良かったこともあり、私は1着だったが中村は7着になってしまった。

 1番人気(枠連5→6 290円・車連7-9 560円)という地元の責任が、(何が何でも今日は1着を獲らなければならない)という気持ちにさせていたかもしれない。それが最終4コーナーから、もしかして早めの踏み込みだったかもしれない。しかし、中村をかばってもう少し踏み込みが遅かったら小野の勢いに3着に破れていたかもしれない。

 控え室に戻った後、私は中村に「悪かったな、残せなかったよ」と謝った。

 中村は、「いえ、自分に力が無かっただけです」と、悔しい気持ちを抑えながらも笑顔でそう言ってくれた。

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