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奈良記念競輪 第1日目 初日選抜 2001年2月7日(水)

 

練習はウソを付かない。

【レース展開】

 スタートは7番車の田口が出て9番車の高田晃裕と続き、1番車高田靖也以下が追う形となった。
 先頭に居た田口、高田晃裕が後方に下げ、2周を回ったところで前から高田靖也 - 米田 - 田口 - 梶原 - 桜井 - 鷲田 - 島田 - 蒲生 - 高田晃裕で落ち着いた。

 赤板を迎える2センター付近から島田 - 蒲生 - 高田晃裕の中部ラインが上昇を開始、それに併せて中団にいた梶原 - 桜井が島田のイン飛び付きを狙って踏み込んで行った。

 私はそれに切り換え高田靖也の前に出たところを、高田靖也 - 米田後位にいた田口が私の後ろに切り換えて来た。あと一周のホームでは、島田の後位を梶原、蒲生で競り合い、以下、桜井 - 高田晃裕 - 鷲田 - 田口 - 高田靖也 - 米田となった。

 私は、 高田靖也の動きを警戒しながら最終2コーナー捲りに出た。スピード良く、3コーナーで逃げる6番車の島田に並び、そのままゴールまで押し切った。

【会心のレース】

 この奈良記念に向けて奈良で合宿を張るなどトレーニングを積んでいたが、その成果が出たようだ。
 このレース、島田を足場にする中部勢と高田靖也を足場にする関東勢、そして徹底起動型がいない近畿勢の実質2分戦だったが、私は密かに自力勝負を狙っていた。
 先行するのはたぶん島田 - 蒲生 - 高田晃裕で、それを高田靖也 - 米田 - 田口が捲る展開が予想されたが、私は中部勢後位から高田靖也を後ろに置いて、先捲りを打とうと思っていた。しかし、展開上、私のすぐ後ろには高田靖也がいるだけに、仕掛け所が難しいと思っていた。

 それが、ジャンで 田口が私の後位に切り換えてくれたお陰で闘いやすくなった。じっくり高田靖也を牽制しながら2コーナー渾身の捲りを放ち、それが鮮やかに決まったレースだった。我ながら会心のレースだったと思う。

 1着=46才、2着=50才。合計96才のワンツーフィニッシュは私にとっては過去最高記録で、車番連勝単式 3-7 も18,540円(47番人気)の高配当となった。

(下図参照)


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