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 「2001年・熊本の熱い夏物語」vol.2 平成13年度全国高等学校総合体育大会

鷲田佳史(北陸高3年)熊本インターハイ出場の記録
 鷲田善一の長男・鷲田佳史(北陸高3年)は、今年(2001年)高校生活最後のインターハイを火の国・熊本で迎えた。佳史の出場する自転車競技は8月5〜8日までの期間行われ、ロード競技とトラック競技の2種目に出場した。
 8月5日(日)は、熊本県天草諸島の本渡市でロード競技が行われ、佳史は個人タイムトライアル・23.8kmに出場、見事6位入賞を果たした。また、6〜8日のトラック競技は、熊本市の熊本競輪場に移し、1000mタイムトライアルに出場し、8位入賞を果たした。
 これは、その時を綴った「熱い夏物語」である。

2001年8月7日(火)

 1000mタイムトライアル決勝

 想えば佳史にとっては、2年前(1999)の岩手インターハイ、そして、昨年(2000)の岐阜インターハイと今年で3回目のインターハイを迎えるが、いずれもあと一歩及ばず栄冠には手が届かなかった悔しさを、今年は何としても達成したいという気持ちから、今まで以上に気合いを入れて練習を積み重ねて来た。
 昨年(2000)の富山国体少年男子個人ロードレースは、予期していない「優勝」を飾って周囲をアッと言わせ、その後、オーストラリア遠征でもポイントレース3位など、着実に力を付けてきた。
 しかし、いずれも中・長距離のみの好結果であって、佳史にとっての将来の夢である「競輪選手」になるためには、短距離(1000mと200m)のタイムを出さなくてはならなかった。
 今シーズン(2001)開幕となる3月の春の高校選抜大会以前から、1000mタイムトライアル一本に絞って練習を始め、インターハイ出場のブロック予選が行われた北信越大会(長野県松本市で開催)では、今期自己ベストの1分08秒47を出し、期待が持てるところまでになった。

 熊本は、「滑走路」と異名を取る日本一直線が長い500バンクだけに、他のバンクと違って1000mTTには力が要るバンクであった。
 そこで福井競輪場は400バンクということで、熊本の500バンクを想定して、琵琶湖競輪場(500バンク)にも7月20日と28日の2回、足を運んで練習もした。
 2回の日帰り合宿で、計4回1000mのタイムを計測したが、いずれも1分08秒台後半のタイムを弾き出し、後は、本番で自己ベストを更新すれば優勝も狙える!というところまでこぎつけた。

 私は、熊本での優勝タイムは1分08秒3〜4と睨んでいた。というのも今年からギヤ設定基準が変わり、高校生は、トラック種目においては、47×14=3.36までとなったからだった。勿論、全国には、どんな一発脚を持った強豪がいるかも知れないという不安はあったが、ブロック別のタイムをみてみると今回の1000mTT選手には、ズバ抜けた選手がいなかったことを知っていたからだった。だから、熊本の500走路で1分07秒台を出せれば優勝は確実、1分08秒台前半でも、優勝はある、と思っていた。

 果たして、インデヴィデュアル・タイムトライアル・ロードレース6位入賞から中1日を置いて、8月7日(火)当日がやってきた。
 トラック競技はロード競技の翌日、6日から行われたが、1000mTTは、幸いなことに7日の午後2時50分からだった。これを想定して、ロードの疲れが残らないよう万全の調整をしていたから、当日、佳史の疲れもなかったようだった。

 朝の練習でも、「調子が良い」と言ってのけた。

 熊本は連日36℃を超える猛暑が続いていた。地元の人の話によると、「熊本は九州でも一番暑かばい」ということで、外を少し歩いているだけで熱射病で倒れそうだった。

 1000mの第1走者は、午後2時50分。佳史は14組のホーム側からスタートで、大体、3時30分くらいになることが予想された。

 だから、1時頃までは宿舎でジッと我慢の子で、ウロウロしないよう注意した。

 宿舎を出ると、直ちに控え所となる競輪場内の穴場(車券売り場)に行った。ここでローラー練習とストレッチング、マッサージをして本番に臨むことになる。
 選手も大変だが、コーチも大変である。選手に集中力を付けさせるため、無駄な動きをさせず、自転車の点検、タイヤの空気圧等を確認をする。

 他の高校では、後輩の生徒がこれらを手伝う形となるが、佳史の高校は未だに「同好会」で親子マンツーマンでやってきている。旅費宿泊以外の経費は、すべて個人負担を強いられ、これも伝統の違いであるからボヤいても仕方がない。ただただ周囲に認められる為には結果を出すのみだった。

 そして、周囲の「ガンバレよ!」という熱い声援を胸に、いよいよ佳史と鷲田コーチがフィールド内に入っていった。

 フィールド内のテントに入ると6組の選手がスタートした。ローラーで軽く脚を回している佳史が、「白(ホームスタートの選手)の選手は強いよ」と言った。

 ゴールして、オーロラビジョンに映し出されたタイムを見ると1分08秒392を示していた。正直いってびっくりした。(こんなに早い組から好タイムが出るとは…)

 ローラーに乗っている佳史からはオーロラビジョンが見えないから、私はタイムを告げた。

 佳史は唇をグッと噛みしめた。

「1分07秒台を狙って行こう!」と、私は、佳史に向かって気合いを入れた。佳史もそれに頷いた。

 親子共々「優勝」の2文字以外考えてなかった。絶対優勝するのだ。そう思っていた。

 係員から14組が呼び出された。佳史は、スタート位置のそばの待機する椅子に腰掛けた。私は、アイシング用の氷を佳史の後ろ首に当てた。

 スターティング台に自転車を設置すると、カウントダウンが始まった。

 5,4,3,2,1,号砲の電子音が鳴った。私は、それにあわせてストップウォッチを押した。

 ついに鷲田親子がこれまでやってきた集大成を披露するスタートが切られた。

 スタートしてバックストレッチは追い風になる。加速して行く気配は良かった。250mまでのタイム20秒36、250〜500mのタイム14秒75、1周35秒11だった。

 このままのペースでいけば1分08秒前半は確実だ!と思った。しかし、1周を回って1センター手前から急にペースが落ちた。

 どうした 私は心の中で叫んだ。

 琵琶湖で走ったあのスムーズな回転がない! 上半身に力が入るばかりで、失速していくばかりだった。

 ゴール線を踏み切ってストップウォッチを止めると、私の時計で1分10秒38を示していた。
 結果は出なかった。理由は色々あっただろう。でも、なぜかさわやかな気分だった。高校最後のインターハイを締めくくれなかったことは残念だった。

 しかし、熊本の熱い想い出だけは親子共々一生忘れることのない記憶として深く心の中に刻まれたことだろうし、お互い悔いはなかった。

 成功より失敗で得られることの方が多い。

       私は、誰かが言った言葉を想い出していた…

「2001年・熊本の熱い夏物語」終わり

順位

選手名

都道府県

高校名

タイム

1

屋良 朝春

沖縄

北中城

1分08秒392

2

橋本 強

愛媛

松山聖陵

1分09秒303

3

須藤 雄太

千葉

京葉工

1分09秒363

4

平間 一洋

宮城

仙台商

1分09秒435

5

福田 正人

埼玉

鳩山

1分09秒633

6

西村 行貴

熊本

開新

1分10秒328

7

原田 佳輝

岐阜

岐阜一

1分10秒520

8

鷲田 佳史

福井

北陸

1分10秒600

上:日刊県民福井(2001.8.6) 

左:福井新聞(2001.8.6)

 

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