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岸和田普通競輪 第3日目 A級特選 2000年7月18日(

 これでひと安心と思ったら翌日は奈落の底。
 競輪選手とは何とも因果な商売である。

 期の初めはS級復活だ!なんて威勢のいいことを思っていたが、昨日の重注でA級1班の座すら危なくなってきた。何か訳の分からない引力に引き込まれているような気がした。初日の特選2着で何とか持ちこたえ、準優は岡崎の先行で難なく優出をともくろんでいたが、まさかの4着、それも重注のお土産付き。
 これでひと安心と思ったら翌日は奈落の底。競輪選手とは何とも因果な商売である。選手生活26年、色々な修羅場をかいくぐってきたが、悪運もついに尽きたか。いやいや、まだまだ諦める訳にはいかない。
 映画「ターミネーター」のように、死んだかと思ったらまだまだ闘うあの精神が今の私には一番大切で必要なことだった。誰も助けてはくれない。人間は絶対に諦めてはいけない。そう自分に言い聞かせて、岸和田の最終日第9レースに臨んだ。
 初日特選から最終日の特選に5人がこぼれた。先行不在のレースでやりにくい一戦だった。私は初日同様、奈良の岡田仁に任せることにした。その岡田、何かやってくれるだろうし、私は岡田の動きに期待するしか手はなかった。
 スタートは4番車の千葉が前を取り、以下池澤 - 井村 - 佐藤 - 網谷 - 岡田 - 鷲田 - 斉藤 - 塚本の並びで落ち着いた。
 あとは岡田が押さえてどこで仕掛けるかだ。私はレース前から池澤とのT競りUを覚悟していた。これはマーク屋のT感Uというものだ。自分が相手の立場だったらどうするか、を考えれば解答は得られる。たとえ追い込み選手といえども岡田が先行すれば手強い存在となる。その後ろを狙うのは当然で、増してやその後ろは今じゃ老いぼれたライオンだ。入れ歯の牙をもったライオンなど大したことはない。池澤はきっとその行動を起こすのに違いないと、私はひしひしと感じ取っていた。
 赤板を通過して、岡田は上昇を開始した。それに鷲田 - 斉藤 - 塚本も続いた。すると岡田は佐藤 - 網谷のところで立ち止まった。先手を取る岡田にしてみれば、他に警戒するとすれば佐藤ということになるのだろうが、そこまでしなくてもいいのではないかと思った。ましかし、岡田に任せるしかない。そして、ジャンの4コーナー、岡田が仕掛けた。それに併せるように池澤も前走4番車の千葉を交わし飛び付きを狙ってきた。
 やっぱりと思った。私はこの状況を想定して対処の方法を考えていた。事故点リミット状態だからただひたすら耐えるしかなく、岡田の後輪に差して、兎に角、無抵抗主義を貫き通すしかなかった。
 すると突然岡田が後ろを振り返って外帯線をはずすものだから、私の前輪と岡田の後輪が接触しそうになった。
 オオーッ!思わず私は叫んだ!おいおい岡田!何するんだ!日頃、先行などしたことがないとはいえ、予想の付かない走行に私はバランスを崩した。と同時に私は池澤から体当たりを喰らった。バランスを崩した上、池澤のタイミングも良く、私は成す術も無く宙に浮いてしまった。無抵抗主義者の辛い立場だった。だが、このまま浮きっぱなしでは情けない。
 すぐさま池澤の後ろを走る8番車と併走し粘った。
 最終バックストレッチ、佐藤 - 網谷が捲ってきた。最終3コーナー、私はサンドになりながらも諦めずに前に踏んだ。
 このとき選手は習性で走っている。ただ前に進む事だけを考えている。悲しくも闘争心溢れる習性である。
 家族のことも、友達のこともすべて頭の中から消え去り、ただひたすらゴールを目指す男達の習性は、感動を呼び起こさずにはおられないであろう。

 習性と自制心の狭間で、私は競輪選手としての在り方を考えるのだった。

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