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向日町S級シリーズ競輪 第1日目 初日特選 2000年7月26日(水)

 何事もT成就Uを遂げようと自分に誓ったからには
 T必死の状態に身を置かなければならないUというのが私の信条である

 前回、岸和田の二日目終了時点(2000.7.17)で、番組編成課に頼んで個人成績表をコンピューターでハジき出してもらった。
 選手は期の終了間際になると自分の得点が一体どのくらいあるのかと小数点以下1000分の一まで計算機片手に計算をする。大体そういうふうに成績表を出してもらっているのは各班のボーダーライン上にいる選手達である。もちろん、私もその一人だった。
 岸和田が終了した時点(最終日特選4着)でA級1班から2班に陥落するのは数字上確実で、鷲田善一の悪運もついに尽きた感がしたが、今期最終参加の向日町S級シリーズを3連勝で飾れば何とかA級1班に踏み留まれる計算だった。
 4年ほど前(1996年)にも事故点が9.6まで達したことがあったが、その時はまだS級3班だったから何とかA級1班に踏みとどまることができた。
 しかし、今期は上位平均競走得点(通常21回、支部長等18回)が101点を超えているといううものの、業績点1.7(1着4点、2着2点)を加算しても事故点10.2ではA級1班の線上に留まることはどうみても無理だった。(初日の特選に乗れない)
 私は計算間違いのないことを再確認し、岸和田から中6日の向日町開催に全神経を傾注することに決めた。
 大好きなビールともこの間しばらく付き合わないことも決めた。それを飲まないことによってどれほどの効果があり、どれほどの結果が得られるかというと、あまり期待は出来ないかも知れないが、兎に角、何事もT成就Uを遂げようと自分に誓ったからにはT必死の状態に身を置かなければならないUというのが私の信条である。だから一番好きなものを絶ち「人事を尽くして…」である。悔いの残らないよう努力だけしよう。そして私は最後の最後まで絶対にあきらめない覚悟で向日町に参加したのだった。
 今節のS級シリーズは不出世の競輪選手・松本勝明氏を讃える開催だった。普通開催と違って取材人の多さに久しぶりに賑かな雰囲気を味わった。検車場に入ると取材人があちらこちらで選手のコメント取りを行っていた。普通開催とは違いS級シリーズともなるとスター選手も多く、A級の私は遠慮がちにその横を通り過ぎようとすると、何人もの顔見知り記者から声を掛けられ明日の特選メンバーを知らされた。
 事前に大体のメンバーは承知しているというものの「明日どうされますか?」との記者の質問に、私は「地元の佐野君の後ろです」と答えた。何人かの記者との取材の中で、どうしても最後は事故点の話になる。「大丈夫ですか?」と訊かれて、私は「ここが勝負です」と答えた。今期後半戦は自分がTお尋ね者Uになったような気持ちでこれを繰り返した。
 選手からもことあるごとに「事故点大丈夫ですか?」と訊かれる。もうそれが参加中の会話の中心だ。「人の不幸はカモの味」というが、内心(この野郎、ホントに心配してくれているのか)と、被害妄想も増長してくる。そしてそれが一層私の発憤材料となって反骨精神に火を点ける。(何くそ、今に見ておれ!)私は人を憎まず自分の精神をコントロールすることに努めるのだった。
 初日A級特選第5レース。私は近畿一のスプリンター佐野梅一(京都・78期)の後位を絶対に死守しなければならないレースだった。
 佐野梅一選手は、昨年の近畿地区プロ自転車競技大会スプリントの優勝者だけにダッシュ力はA級では群を抜く。また今期100点台をキープしS級昇級は確実視されている選手だけに、まず付いて行ければ2着はあるだろう。
 私はいつもと違った緊張感にひたりながらレースに臨んだ。佐野も地元戦とあって緊張している様子だった。それぞれに緊張の種類が違うとはいいものの何年経ってもスタート前の雰囲気というのは嫌なものである。
 そして、緊張だけならまだしも、これにプレッシャー(重圧感)が掛かると更に息苦しくなってくる。まさに逃げ出したい心境というのは、こういう事例のことである。プレッシャーを跳ね退けられる者と押しつぶされる者との違いは、精神力以外の何かが影響しているものと思われる。
 私は極度の緊張とプレッシャーに耐えながらも、このチャンスを絶対逃さないよう必勝の覚悟で臨んだ。佐野の後ろをしっかりとキープ。そして、見事1着でゴール線を駆け抜けることができた。(枠番連勝複式1番人気にも応えることができて一安心)

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