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松阪普通競輪 第1日目 初日特選 2000年11月1日(水)

 いろんな意味で45歳の鉄人は休むわけにはいかない。

 2000年10月は事故点による「斡旋をしない措置」が適用されたため私には一ヶ月間、競輪開催がなかった。しかし、私にとってこの一月間はあっという間に過ぎ去ってしまい、むしろこの10月が休みでよかったと思ったくらいだった。決して負け惜しみで言うのではなく、13日にあった近畿地区プロ大会での個人追い抜き競走の練習や、16〜19日の事故点再教育訓練(静岡県修善寺)、また福井選手会所属の和田信一選手と松山勝久選手の結婚披露宴での来賓挨拶など、これで競輪に参加していたら病気になっていたのではないかと思ったくらい忙しい月だった。15日には長男(佳史)の国体優勝の朗報もあり、まさに激動の一ヶ月間であった。

 今期(2000年8月~11月)は8月と9月が2本斡旋だったから10月の斡旋しない月をまたいで11月は3本の斡旋が入ることになっている。今月はこの松阪から大垣、福井と走って期を締めくくることになるが、10月走らなかった分の「元」も取らなくてはならない。いろんな意味で45歳の鉄人は休むわけにはいかないのである。

 特選メンバーは、今節優勝候補の筆頭に挙げられる兒玉慎一郎(香川・76期・26歳)が藤原克成(岡山・60期)と古田基(福岡・47期)を従え西日本ラインを形成し、地元中部ラインは古田義明(三重・79期・27歳)の先行に古田義広(岐阜・60期)と本村譲治(愛知・59期)、そして近畿ラインは木本賢二(大阪・69期・28歳)を足場に鷲田、前田知機(滋賀・68期)が付けての三分線の闘いだった。

 木本とは過去二、三度一緒に走ったことがあり、近畿の千メートルの元チャンピオンだけに積極的に駆けてくれれば十分にチャンスがあると思った。しかし、最近の木本の成績はあまり芳しくなく体調面での不安が残った。それに加えて私は今期も事故点リミットでこれ以上はマーク屋としての仕事が出来そうにもない。終盤に向けて厳しい闘いが予想される。また、木本が兒玉と地元の古田を相手にどういうレースで臨むか、これまたまったく予想が付かなかったが、私は一ヶ月ぶりのレースとはいえさほど緊張感もなく発走台へと向かった。

 スタートは8番車の古田が出た。その後を前田、鷲田で追った。今期もこのスタート牽制で事故点18点(9点×2回)を費やしているだけにゆっくりしていられない。残り3周回で木本 - 鷲田 - 前田 - 兒玉 - 藤原 - 古田基 - 古田義明 - 本村 - 古田義広の並びで落ち着いた。

 赤板掲示を迎えて古田義明 - 本村 - 古田義広が上昇し、バックラインで木本 - 鷲田 - 前田を押さえ込んだ。と同時に兒玉 - 藤原 - 古田基がさらにその上を叩いて先行態勢に入った。
 木本はインで粘り、中段を確保するかに見えたが、兒玉のインをすくって先頭に躍り出た。そのまま木本が先行してくれるのかと思ったが、古田義明 - 本村 - 古田義広の巻き返しを迎い入れ、4番手に飛び付く作戦に出た。
 外に浮く形となった兒玉 - 藤原 - 古田基は、苦しい展開となったが、兒玉は、そのまま外にへばりついた状態から捲くって出た。最終1センターで、私(3番車)は2番車の藤原をどかして兒玉後位を奪いたいところだったが、事故点がこれ以上課せられない状況だからそれができなかった。 

 二転三転と入れ替わりの激しい動きが続いたが、結局、力のある兒玉は不利な状況から捲り切ってしまった。私は、バック併走8番手の最悪の展開に成す術もなかった。
 勝負所の最終1センターがすべてだった。あそこで車を外に持ち出して兒玉に切り換えていれば…。事故点の足かせがある限り、こればかりは判断が付きにくいところだった。

 結局、期の終わりになって、そういうレースしか出来ない自分が悪いのだと、ゴールしてからそう自覚していた。

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