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四日市普通競輪 第3日目 A級特選 2001年3月19日(月)

 今期最終戦を終了した喜びはあったが、複雑な思いが交錯した。

【レース経過】

 周回は、梶原 - 大川 - 皆藤の南関勢の前付けから、飯島 - 渡辺の関東勢が中団に位置して、熊無 - 鷲田 - 藤野 - 小西が後方から攻める展開となった。

 赤板表示を迎えて、熊無 - 鷲田 - 藤野 - 小西が上昇を開始すると、梶原はそれに合わせて突っ張り先行をみせかけたが、熊無は何とかそれを押さえ、ジャンで鼻に立ち、先行態勢に入った。

 しかし、熊無が流し過ぎて仕掛けが遅いから、6番車の飯島が単独でカマしてきた。それに乗って梶原も続いてきたが、最終2コーナー、飯島の番手から梶原が捲りに出た。

 私は、熊無後位から梶原 - 大川 - 皆藤の後ろ4番手に切り換え、そのまま4コーナー流れ込みの4着でゴールした。

 

【レース感想】

 この四日市に来てから、私の今期の事故点を調べてみると、なんとなんと重注が4回(36点)、走注が7回(21点)の合計57点だった。それは予想紙に載っていた記録で知ったのだが、正確な事故点はまだ分からないというものの、顔が青ざめてしまった。

 これじゃ走注1回も付けられない状態で、初日から金縛り状態が続いていた。今期も事故点60点をオーバーすると、来期(2001年4〜7月)は、月オール2本の斡旋となり、収入にも大きく影響してくる。
 座禅は我慢できる(これも嫌だ)が、賞金減は、まさに死活問題となってくる。模範と成るべき支部長の立場としても面目が立たず、やるせない気持ちと共に、色々なことが脳裏に浮かんだ。

 ともあれ、無事故で四日市競輪を終了し、そして何とか今期も終了した。

 練習不足と事故点に苦慮し、今期最終戦を終了した喜びはあったが、464着の今期最低の成績を残して四日市を立ち去るのは、複雑な思いであった。

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