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四日市普通競輪 第2日目 準優 2001年3月18日(

 練習不足は、展開も悪くなることが実証された

【レース経過】

 号砲が鳴って、6番車の飯島が前に出た後を、5番車の皆藤と7番車の鷲田で、後を追った。

 2周回を回ったところで、前から飯島 - 片山 - 鷲田 - 松浦 - 日下 - 皆藤 - 三浦 - 吉川 - 石田の並びで落ち着いた。

 赤板表示を過ぎ、三浦 - 吉川 - 石田が上昇を開始すると、片山は、飯島を叩いて誘導員の後位に入った。片山は、三浦 - 吉川 - 石田の4番手に切り換えてきた日下 - 皆藤のインで粘ったが、最終1センターで競り負け、ズルズルと後退してきた。

 私は、最終2コーナーで、片山を捨てて捲り上げたが、5番手を回っていた日下の踏み上げと一緒になり、3コーナーで浮いてしまった。

 そのまま、流れ込みの6着ゴールした。

 

【レース感想】

 片山と一緒のレースは、2000年4月15〜17日開催の和歌山競輪初日と決勝戦以来で、過去S級時代から一度も決まった試しがなかった。つまり相性が悪かった。片山は捲り一辺倒のタイプで、力はあるが追い込み選手にとっては、付きづらい選手だ。

 しかし、この準優戦、好目標を得て決勝進出に意欲がみなぎっていた。完調には程遠かったが、昨日より大分感じは良かったし、三浦の先行を捲ってくれるものと期待していた。

 しかし、片山は初日同様凡走し、私は、泥船(どろぶね)“共に沈むこと=競輪選手用語辞典 より ”となった。

 練習不足は、展開も悪くなることが実証されたような一戦だった。

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