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松阪普通競輪 第3日目 A級特選 2001年5月5日()

 私の勝負哲学は、「情に負けない選手は競走にも負けない」である。

【レース経過】 スタートは、牽制もなく3番車の鈴木浩一が出て、鷲田、鈴木太生雄、櫓と続き、一周を回ったホームストレッチでは、早くも前から鈴木浩一 - 鈴木太生雄 - 鷲田 - 櫓 - 梅村 - 南雲 - 花村 - 加藤 - 森の並びとなった。
 このままの並びで赤板を迎え、ジャン前2コーナーから花村 - 加藤 - 森の中部ラインが押さえて来た。誘導員の後ろは静岡両者が前受けだったが、花村 - 加藤 - 森の上昇に併せて1番車鷲田 - 櫓がその後位に切り換え、静岡両者は車を下げた。
 中部勢の上昇に併せて、 梅村 - 南雲もその後位に切り換えて来たため、花村 - 加藤 - 森の後位は、インに 鷲田 - 櫓、アウト 梅村 - 南雲で併走となった。
 ジャン2センター、花村 - 加藤 - 森の4番手のインにいた鷲田は、外帯線を外していた加藤 - 森のインをしゃくった。
 あと一周の最終ホームストレッチでは、2番車花村の後位をイン 鷲田 - 櫓、アウト加藤 - 森となり、以下、梅村 - 南雲 - 鈴木浩一 - 鈴木太生雄で最終回を迎えた。
 最終1センターで、2番車花村の後位を競り勝った鷲田は、最終バック、絶好の2番手追走だったが、7番車梅村が、渾身の捲りを打ってきた。これを鷲田が、ブロック。
 逃げ粘る花村と番手鷲田のマッチレースとなったが、ゴール前花村を寸前で捕らえた鷲田が1着でゴールした。

【レース感想】 この松阪競輪も前回岐阜競輪同様準優4着で、決勝進出を逃してしまった。調子はことのほか良好だったから、優勝も間近いと意識していたが、どうも「勝利の女神」はそう簡単には微笑んでくれない。決勝に乗れなかったのは残念だったが、負け戦こそ大事に走らなければならない、というのが鉄則である。
 前回岐阜241着で、最終日特選を征したのは会心のレースだったが、ここも気を引き締めて1着を獲りたいと思っていた。
 ただ人気の地元花村の後位は、愛知の加藤選手と森選手で、二人とも良く知っている選手だけに、やりにくかった。
 私の立てた作戦は、中部4番手追走か、もしくは南関の鈴木浩一 - 鈴木太生雄、静岡両者に付けての直線勝負と考えていた。別に番手にこだわらなくても今の伸び脚なら1着に来れる、という自信があったからだ。梅村 - 南雲の関東両者は、捲り狙いとうのは察しが付いていた。
 スタートは、鈴木浩一 が前を取ったので、準優で魅せた突っ張り先行があるなら切り換えずそこで勝負だし、引いたら中部4番手で勝負と決めていた。
 しかし、ジャンで、その中部4番手に梅村 - 南雲も切り換えてきたので、これも計算に入れていた私は、すかさずインをしゃくって花村の番手に追い上げたのだった。

 この展開では、非情にならなければならない、と思った。修羅場で生きる人間が「」を賭けては命獲りになることは、嫌というほど経験している。
 勝つことに意義がある競輪選手にとって、それは避けて通れない「掟(おきて)」である。非情になれるかなれないかの差は、日頃の精進によるものだと考えている。
 苦しい練習に耐えてきた者は、情に左右されない精神力が備わっているからで、私の勝負哲学は「情に負けない選手は競走にも負けない」である。
 まだまだ私の精神力に陰りはない、と思った自己満足の一戦だった。 

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