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豊橋競輪 F2 第2日目 準優 2001年9月29日(

車番

選手名

年齢

期別

登録地

1

鷲田 善一

44

33

福井

2

今別府 尚

24

79

鹿児島

3

山下 和久

43

37

石川

4

佐々木邦彦

29

68

兵庫

5

立神 洋一

32

67

鹿児島

6

大洞 孝義

37

49

岐阜

7

山中  隆

30

63

香川

8

松本 健一

29

66

香川

9

田中 雅史

22

79

愛知


 ま、ま、まさか!オーマイガーット!

高笑いするハズだったのに、悪い夢でも見ているようだった。

ゴール後、ガックリとうなだれてシマッた。

 この事態を一体どう処理すればいいのだろうか?

 もう少し、早く仕掛けていれば良かった…

 いやいや滝川が強すぎたのだ…

 しかし、どんな言い訳を言ったところで、この悪夢が消え去ることはなかった。

【教 訓】 喜ぶのはゴールしてからにしろ!

【レース経過】 

 号砲が鳴って、人気を背負った滝川がすんなりと前に出ると、これに渡辺、高木と続き、中団には、鷲田が佐々木を迎入れ甲斐と並んで近畿ラインを形成、後方には越智 - 太田 - 檀の並びとなった。

 あと2周の赤板表示で、後方の越智 - 太田 - 檀が上昇すると、前団の滝川 - 渡辺 - 高木を押さえ、ジャンと同時に誘導員を追い越した。

 中団に構えていた佐々木 - 鷲田 - 甲斐の近畿勢は、越智 - 太田 - 檀が誘導員を交わすタイミングを見定め、一気に越智 - 太田 - 檀を叩いて先手を奪った。

 先行態勢に入った佐々木は、あと一周の4コーナーでバンク中団に駆け上がると、そのまま惰性を殺さず山おろしを駆けて全力疾走。

 佐々木の後ろは鷲田がぴったりとマークしていたが、その後ろの甲斐が少し離れ、さらにその後ろの越智以下も車間が空いた。

 最終2コーナーでは、先頭の佐々木と最後方の高木との車間は、およそ30メートルに達した。

 最終バック、逃げる佐々木に対して、後方7番手にいた滝川は、最終2コーナー立ち上げると、猛然と捲り上げてきた。

 最終2センター、佐々木マークの鷲田が追い込みにかかったが、加速して来た滝川のスピードは、明らかに違っていた。

 ゴールは、滝川が11秒3の捲りで鷲田をとらえ、滝川マークの渡辺が3着、渡辺後位の高木が2着で入った。

 絶好位置の鷲田は4着となった。

【真珠湾攻撃】

 佐々木とは、以前、準優戦一緒に走ってワンツーを決めたことがあった。

 それは、今から2年前の1999年10月22〜24日開催の岐阜競輪S級シリーズA級準優第4レースのことで、その時のメンバーは、左記の通りだった。

 本命は、愛知の新鋭・田中雅史で、車連9→3が1番人気だった。

 私は、初日特選1着でこの準優戦を迎えたが、初日選抜4着で勝ち上がった佐々木邦彦に照準を合わせ連勝を狙っていたが、相手は売り出し中の田中雅史。まともに闘ったのでは勝ち目は無いと思った。 

 しかし、佐々木は183B、115Lの巨漢で4.08の大ギヤを踏みこなす一発脚の持ち主だ。一度、風に乗ったらその機関車なみの勢いは誰にも止められない。

 それで、その時の作戦は、田中の前受けを九州ラインが押さえるだろうから、そこを一気に真珠湾攻撃で不意打ちのカマしを討つ作戦だった。

 そして、見事、後続を振り切ってワンツーを決めたのだが、恐らく、佐々木もその事を思い出しているに違いなかった。

 その時の作戦同様、滝川が前受けとなるだろうから、中団の位置は、私が素速く取り、後方の越智以下のラインが滝川を押さえ込んだら、一気にカマして出る。

 佐々木とは、作戦上の事は何もしゃべらなかったが、佐々木は、4.08の大ギヤをフル回転しカマして行った。

 私は何度も後続を振り返って、自分との距離を確認した。

 最終2コーナーを回った時点で、これは決まった!と思った。

 真珠湾攻撃が見事、功を奏したと思った。

 だが、喜ぶのは早かった。

 ゴールまでの射程距離と、後続からの距離を十分計算したつもりだったが、ゴール手前で滝川の強襲に撃墜されてしまったのだった。(左に続く)

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