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四日市競輪 第3日目 優勝戦 2000年5月8日() その1


 赤板を通過


 ジャンで石津を先頭に発進


 
4コーナー

 上松、石津、鷲田と福井から四日市に参戦した3人全員が決勝戦に進出したのを見て、「ここは福井競輪か?」と、我々の健闘を讃える冗談が参加選手から聞こえてきた。

 正に福井の選手は、このところ絶好調だ。3連覇のかかる上松は気合い十分だし、私の準優の動きも軽快。これに捨て身覚悟の石津が加われば、鬼に金棒。この岩より硬い鉄壁ラインを崩すのは容易ではない、と誰もが思った。我々も優勝するのは福井の中から、と思った。だが、勝負は終わってみないと分からないものである。
 敵も猿者引っ掻く者、同じ手は喰わぬ、のである。こちらの注文にそう簡単にのる筈がなかったのであった。
 号砲一発、石津、久富、大塚の先行選手は互いに牽制し4番者の三好だけが重注を嫌って先に行く。私は「またか!」と思いつつも牽制の仲間入り。ようやく3番者の堺が追いかけ、私も続く。隊列が決まったのは残り3周回のホームストレッチ付近で、石津-上松-鷲田-三好-大塚-堺-久富-荻野-甲斐下の並びであった。
 もうこうなったら腹をくくるしかない。出たとこ勝負だ。重注も付いたことだし「絶対優勝してやる!」と思って走った。

 残り2周、久富が相性の良い先輩の荻野を連れて上昇開始。大塚も併せて上昇。石津はすんなり下げてすぐさま巻き返すが久富は石津を見て目一杯の先行。私は瞬間、これはダメだと思った。上松も空いているところを探すが元の位置に下げ、態勢を整える。
 後は大塚の動きを見ての勝負しかない。しかし、その大塚が動かない。最終バックで上松は大塚のふところに入り込みそのままインを突く。
 私は上松に続き4コーナー勝負。9番車の甲斐下が外に持ち出したところを目一杯踏み込んだ。

初日 2日目  その2へ続く

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