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大垣競輪 F2 第2日目 準優 2001年9月13日(木)

 練習さえ出来る環境を手に入れればまだまだ

【レース経過】 

 メンバーは、高野を柱とする荒木 - 藤本の中部3車と、乾(いぬい)を柱として河野 - 鷲田 - 丸井の近畿4車、そして、川原 - 奥山の南関両者の実質2分線の戦いだった。

 レースは、中部勢の前受けで、中団に南関、後方に近畿勢の態勢で周回を重ねた。

 赤板掲示を迎えて近畿勢が上昇を開始すると、最終回前回の1コーナー付近で早くも前団の中部勢を押さえ込むと、高野はジャン前の2コーナーで引き、誘導員の後ろには乾以下の近畿勢が入った。

 高野を押さえ込んだ近畿勢に川原 - 奥山の南関両者も切り換え、ジャンの並びは、前から乾 - 河野 - 鷲田 - 丸井 - 川原 - 奥山 - 高野 - 荒木 - 藤本となった。

 先行態勢の6番車の乾は、高野のカマしを警戒してジャンの2センターから早めの仕掛け。高野以下の中部勢にとっては、苦しい展開となった。

 しかし、高野は、前団との車間を詰める勢いで最終2コーナーから渾身の捲りを放ち、最終4コーナーで逃げる乾を捉えると、そのまま1着でゴールした。

 2着には、高野追走の荒木が入り、3着には接戦の末、5番車の鷲田が入った。

 

【決勝進出】

 乾の先行には特選スタートの河野が付けることになるから、私は近畿の3番手を回ることになった。

 乾と高野の両先行選手の対決で、あとは南関両者の動向が気がかりだったが、レースはすんなり一列棒状となり、最後は高野の捲りを河野に捌いてもらう事を期待した。

 しかし、その河野の捌きが今ひとつ頼りなく、最終4コーナーのコース取りが大変難しかった。

 この準優戦、私は練習の疲労もすっかり取れ、脚も軽かった。調子が悪ければ、4コーナーのコース取りも甘く、とても3着には入れなかっただろうが、車の伸びが良く1番車の川原と接戦の末、8分の1車輪差で先着した。

 決勝進出は、和歌山競輪2001年6月16〜18日以来、実に2カ月ぶりだった。

 6月24〜26日の福井競輪での初日1着失格以来、どうも歯車の噛み合わない日々が続いたが、これで一安心といったところだった。

 やはり、練習が出来たことが最大の原因だった。46歳という自分の年齢が重くのしかかってくるが、練習さえ出来る環境を手に入れればまだまだやれる!という自信が甦ってきた。

 明日の決勝戦展望のテレビインタビューでは、口の回転も滑らかで、やっと本来の自分を取り戻したような気がした。

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