ベトナムといえば「ベトナム戦争」を避けて通るわけにはいかない。これまで不幸な戦争というものは数多く繰り返されてきたが「国名」+「戦争」というのはほとんど無い。朝鮮戦争というのもあったが、朝鮮という国は現在存在していない。大抵は、どこかの国と国、あるいは国の連合体が戦うのが戦争だがベトナム戦争は、アメリカ、中国、ソ連などの大国の代理で同じ民族同士が戦ったきわめて不自然な代理戦争だった。
1960年に始まり1975年のサイゴン陥落でアメリカが完全撤退して終わったベトナム戦争の記憶は1962年生まれの私にはほとんど無い。第2次世界大戦で使われた爆弾以上が狭い地域に投下されたというグラフくらいしか覚えていません。Wikipediaで調べると膨大な資料が出てくるが2、3度読んだだけでは理解できない複雑さだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/ベトナム戦争。
旅行前は何の予定も立てていなかったが、ホテルから歩いて回れる観光地は見てしまった。2日目に郊外のホーチミン日本人学校も見学させて貰ったし、ベンタイン市場で買い物も済ませた。3日目の朝、小夏と相談して戦争博物館に行くことにした。はやり避けて通るわけにはいかない。
ホテル近くでタクシーを拾い、ガイドブックを指さすと20分ほどで博物館に到着した(35万ドン)。正式には戦争証跡博物館、英語ではWAR REMNANTS MUSEUMと書いてあった。
入り口で15000ドン(小夏は無料)を支払いパンフレットを貰うとそこは戦車・戦闘機などの野外展示場となっていて多くのアメリカ人や日本人が写真やビデオを撮っていた。近くにいたアメリカ人女性に頼んで旧式の戦車の前で記念撮影。ちょっと話をさせて貰ったがわざわざ自国の忌まわしい過去を展示している博物館に来るだけあって反戦思想の方だった。日本の安部首相が右翼化してしていることも知っていたのには驚いた。自衛隊の存在自体も問題だと思っているが、とりあえず海外に派兵するのは止めるべきだ。
2006年12月から、いわさきちひろの展示室が作られ、柔らかいタッチの絵が飾られているが、基本はモノクロ写真の悲惨な写真のオンパレード。本館以外にも政治犯などの収容所を再現した「虎の檻」も展示されており、気分が悪くなった。10年ほど前に「731部隊展」の実行委員として福井大会のお手伝いを行ったが、あのときの記憶とオーバーラップした。印象深かったのは武器の破片で作られた「マザー(母)」という立体作品。(右図参照)
7歳の小夏は別に恐怖心を持つわけでもなく、展示物について積極的に私に質問してきた。兵器の説明などは何とかなったが、「どうして、戦争するの?」という質問には「人間の欲望のせいで、政治家が粘り強く話し合いをしないため」と答えることしかできなかった。
戦争というと、テレビや映画でもよく見る戦闘シーンを思い出すがこの博物館を見て感じたのは、
1 殺戮や破壊
2 収容所などでの人権侵害
3 枯れ葉剤などによる影響
など、長い期間に渡って人々を苦しめるものでしかないことだ。
東南アジアからの留学生は、夏の花火大会が嫌いだという話を聞いたことがある。花火の上がる音が、空爆の音にそっくりだというのだ。平和な日本にいるとそんなことには気が付かない。
アメリカを旅しているとき、カンボジア難民とクリスマスパーティで一緒になったことがあった。この時のことはEZア・メ・カの1987年12月17日のこととしてこう書いている。
彼女たちは日本人の私をつかまえて、カンボジアがいかに美しい良い国であるかを下手な英語で話すのだ。 山は緑深く、川は清く、海は美しいと。
私は日本がいかに素晴らしいかを説明する欲望を抑えて、カンボジアへ帰りますかと聞くと、「ネバー(むりね)」と悲しそうにつぶやいた。
移民の国アメリカと東洋の神秘日本について感慨が一層深くなった。
2007年の現在もイラクをはじめ多くの地域で戦争や紛争が起こっている。美しい国日本を作るのは発想として悪くないが、他所の国を結果的に破壊したり将来にわたって遺恨を残さないためにも海外派兵は止めるべきだ。
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