災害復旧支援とか、復興支援活動とかボランティアとかいろいろな用語が入り乱れて使われているが、本来、ボランティアという言葉は「志願兵」という意味で、有償か無償かとは別の軸で考えるべきだ。とにかく、志願していくのだから、その指揮官には従うのが当然。個人主義の私にはふさわしくない活動だが、今回はあえて一般ボランティアとして控えめに参加した。
私たち20名は、木材洗浄作業6名、薪割り作業3名、がれき撤去作業11名に割り振られてバスで現場に連れて行って貰った。1日目は、木材洗浄作業に従事した。
70歳前後の老夫婦が営んでいた材木加工工場は、住宅に1m程度の津波が押し寄せ、高価な檜材なども大量に流されてしまい、残った木材はすべて泥が付いているのでそのままでは製品にならないという状態だった。被災直後はなにが起こったのかもわからなかったという。注文していた業者さんの何名かは津波で流され、廃業しようかとも考えていたようだが、被災後1ヶ月が過ぎ、再開を決意し、ボランティアセンターに支援を要請してきたようだ。
高圧水流洗浄機を使い、三人一組で四面に付いた泥を洗い落とし、並べて干すという作業。どんどん作業は進むのだけれど、広大な敷地にある汚れた木材からすると雀の涙程度。それでも、老夫婦は何度もお礼の言葉を口にし、午前中の休憩にも午後の休憩にもお菓子と温かい緑茶を出してくださった。炎天下の作業なので冷たいお茶が良さそうに思うが、温かいお茶は本当においしく、何倍もおかわりしてしまった。その時に避難所のことなどを東北弁で話してくださるのだがもの凄いリアリティがあった。
もっと働きたいくらいだったが、作業は途中でも15時には撤収するようにボランティアセンターから強く言われている。
程なく、観光バスが迎えに来て宿舎となった集落センターに戻るわけだが、そこには風呂がないため、30分ほど走って大船渡市のオーシャンビューホテル丸森まで温泉(入湯料500円)に入りに行った。事前の配付資料には書かれていなかったが、いろいろな予定がどんどん変わるのも被災地らしいが、福鉄観光のスタッフは臨機応変に対応してくれた。
大船渡市は、新沼謙二の出身地らしい。ちなみに、陸前高田市は、千昌夫の出身地で時々帰ってくると老夫婦から聞かされた。
バスで集落センターに戻り、弁当の夕食とミーティング(タバコ環境について提案した)、明日の班割りを行って1日目の活動は終了した。
(1)出発 (2)洗浄 (3)横田 (4)瓦礫 (5)沈黙 (6)撤収 / 防災関連 危機管理
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