瓦礫撤去作業の終了時には、海に向かって全員で黙祷。ここでは、多くの人が亡くなっているのだ。
木材洗浄作業のボランティア6名を拾いながら、バスで海岸部を通って宿舎に戻った。
福井県災害ボランティア派遣第49班は、3泊4日の行程で福井県庁から岩手県陸前高田まで、まったく初対面の一般市民20名が観光バス往復するというもの。
終始和やかな雰囲気で過ごしていたが、2回だけまったく会話が途絶えてしまったことがあった。
ひとつは、もっとも被害がひどかった海岸部をバスで通ったとき。
バスの中はまったくの無言で緊張した雰囲気が張り詰め、時折、携帯電話のシャッター音が聞こえるだけだった。報道で見聞きしていたが、実際に目の前に広がる風景は圧倒的な威圧感があった。水没していた市営野球場や乗用車が無残な姿で並べられているのは車社会の地方都市からするとあまりにも残酷。
もうひとつは、曹洞宗・海岸山 普門寺にお参りに行ったときだった。2日目の早朝、福井県職員から「チームふくい」が長らくベースキャンプ(3月の寒い時期から布団やまかない部隊の調理道具まで持ち込ませていただいた)に使わせていただいたお寺にお参りに行こうと言われ、観光気分で出かけたときだった。
古い木造のお寺で境内には、岩手県指定天然記念物の百日紅(サルスベリ)の木があり、三重の塔や大仏像のある立派なお寺だった。
本堂に入ったとたん全員が息を飲んだ。引き取り手のない遺骨箱が200柱も並べられていたのだ(2011年7月3日現在、1,526名が死亡、543名の方が行方不明)。観光気分は一瞬で弾け飛び、静かに手を合わせていた。あんな光景は見たことがなく、津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。
話上手な住職から寺の歴史や津波の話、99歳の詩人・柴田トヨさんのお話、生き残った者の使命などをお聞きし、気を引き締めて2日目の作業現場へと散っていったのだった。
(1)出発 (2)洗浄 (3)横田 (4)瓦礫 (5)沈黙 (6)撤収 / 防災関連 危機管理
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